地球の夜更けは淋しいけれど

『森 修さん追悼文集』(2017年2月18日)より

 

 森修さんのことは、彼がまだ(私と同様に)若かったころからあれこれと書いた。私が障害者問題にはまり込むきっかけは彼との出会いだったから、以来彼が逝ってしまうまでの40年間、彼は私にとって半ば敬愛、半ば怨念の対象だった。「畏友Mのこと」というタイトルの文章では、縦縞のスーツを着た男が私の前を颯爽と(もちろん2本足で)歩いていたこと、ふと振り向いたその男の顔が森さんだったこと、ギャーッと叫んだところで目を覚ました私は汗だくだったこと、それから同じ悪夢に何度もうなされたことを書いた。その文章を読んだ森さんは「畏友」の意味を誰かに聞いたか辞書で調べたに違いない。その後しばらく「畏友」という言葉をあちこちで使っていたのを知っている。

 また別のところでは、彼がいかに若者を魅了したかを書いた。青い芝の会の障害者の介護は「自立障害者集団友人組織グループ・ゴリラ」という恐ろしく長い名称を持った組織の若者が担っていた。当然介護料などは出ない。交通費すら出ない。あるのは熱情のみである。昼間は工場で働き、夜、森さんの泊まり介護に入る若者もいた。森さんは自分で寝返りが打てない。そこで当然介護コンフリクト(葛藤・衝突)が生じる。いくら呼んでも起き森修さんない若者に対して、森さんはどのような態度をとったか。有名な逸話だから知っている人も多いだろう。彼は一晩中一睡もせず、若者の寝返り回数を数えたのだ。 (右の写真は森修さん。2012年撮影)

 それにしても、当時の森さんや私を含めた若者たちの熱情の発生源はどこにあったんだろう? もちろん障害者と健常者では違うだろうし、一人ひとりも違うだろう。でもみんなに共通の源が確かにあったように思う。それは、世の中が間違っているという怒り、その世の中は変えることができるという希望、そして(私はこれが一番大事だと思うのだが)人間に対する好奇心だ。若かったからと言ってしまえばそれまでだけど、今の若者たちの挫折感や社会の閉塞感や危うい国家主義の台頭に思いを致せば、それらの熱情源はけっこう大切なものじゃなかろうか。今、70年代障害者解放運動や青い芝の会の思想への関心が高まっているのにも、そういう直感がからんでいるのではないかと思う。

 友人だった入部香代子も楠敏雄も森修も向こうに行ってしまって、ちあきなおみと一緒に「あなたのいない地球の夜更けは淋しいよ」(「冬隣」)と唄いたい気分だが、相模原であのようなジェノサイドが起こったからには頭を垂れてばかりもいられない。森さんが身も心もさらけ出して生きざまを見せつけたようには生きられそうもないが、せめて彼が地球に残していったものからは目をそらさないようにしよう。じゃあ、「さようならCP」。

 

 

ホームページへ