教育のバリアフリーを
シンポジウム・視覚障害児統合教育を展望する−全記録

 


主な内容

1 この流れを確かなものに
   記念講演―視覚障害児統合教育の過去・現在・未来
   高橋 秀治

2 子ども、学校、そして私
   シンポジウム1―親の思いを語る
   山本 ふじ子/荒井 淑子/小川 美智子/大林 艶子

3 ともに試行錯誤を繰り返して
   シンポジウム2―視覚障害児を受け持って今思うこと
   荒木 都/奥田 邦治/椎口 育郎

4 どのように子どもたちを支えるか
   記念講演2―これからの盲学校の役割
   鳥山 由子

5 バリアに挑んで
   シンポジウム3―統合教育を受けて今思うこと
   平田 香織/福原 留美子/森田 正樹

資料―教科書点訳マニュアル

 


 

シンポジウムのはじめに
愼 英弘


 シンポジウム「視覚障害児統合教育を展望する」ということで、今日と明日、皆さんのご協力のもとにシンポジウムを進めたいと思っています。今回のシンポジウムを企画しましたのは、関西で統合教育を支援するためにできている組織二つで、共催という形で企画しました。一つは教科書点訳委員会(略称:教点委)、もう一つは求める会、この二つが共催でシンポジウムを開くことになりました。
 統合教育に関する資料はたくさん、本になったり論文になったりしていますが、その中の大半は教育の技術を中心にしたものとか、実践例、成功した話とかが中心になっているような気がします。私たち実行委員会では、そういう話は他の文献で見ることができるので、なかなか文献上登場しにくいようなことを中心にシンポジウムで明らかにしていきたいと考えました。統合教育を受けてしんどかった側面に焦点を当てて、なぜしんどかったのか、それは解決できたのか、できなかったのか、できたとしたらどういう方法で解決できたのか、できなかったとしたらなぜできなかったのか、そういうことについて発題者からいろいろご意見をいただいて、フロアの皆さんと議論したい。そして、ここで話された内容は本にして出版する予定です。思っていることを正直に意見を出し合って今後の統合教育の充実を図っていく、あるいは、統合教育でないにしても視覚障害者が教育を受けていく際に、何かの役に立てれば非常にありがたいなと思っています。

 


 

記念講演―視覚障害児統合教育の過去・現在・未来
高橋 秀治

(一部紹介)

少数の問題をみんなの課題に
 この二五年間で、何も動かなかったのは文部省ということになると思います。一九七九年、養護学校の義務化、障害児は全部学校に行かせようという制度ができました。これは大事なことです。そして、交流教育の促進、特殊学校と普通校との交流も進めようとの方針も出ました。それから、軽い障害児を対象にして通級制を導入して、普通学級と障害児学級の接触を密にする方向も出ました。これらを突き詰めていけば、当然統合教育に発展すると思いますが、制度としては絶対にならないわけです。これは何ともお見事な話ではあります。
 一九九五年、政府の障害者対策推進本部から「障害者プラン―ノーマライゼーション七ヵ年戦略」が出ました。障害者が市民として地域の中で生活できるよう、生活の質の向上、公共施設の改善、福祉器具の開発、国際交流などいろんな面で、行政が生活環境をよくするような方針や政策を立てるよう促しています。しかし、この中でも「特殊教育の充実」という言葉はあっても、それが統合教育の充実には決してならないわけです。「そこまでいうなら、教育面でもう一歩進めてくれても」という気がしますが、なかなかそこまでいきません。
 特殊教育は障害児全てを含みますが、そこから先、統合教育を推進するとなると、養護学校とかこれまで培ってきた制度全体を根底からひっくり返すわけで、現状では行政がひっくり返した先の見通しが持てないのではないかとも思います。文部省がどうして制度に手をつけられないのか、その理由はわかりません。二五年間あまり変化しなかったけれども、近頃ではその反面、入学をめぐって学校とよほどのトラブルを起こさない限り、「普通学校に全盲児が入学した」ということがニュースにならなくなってきています。ひと頃はテレビやラジオが大きな関心を示していましたが、社会の方がこの教育について定着した見方をしているということになり、皮肉な状況になっています。
 耳の悪い子、目の悪い子、病弱な子などには、それぞれの特性に応じた教育の仕方が当然あり得るはずです。その意味で「特殊」という言葉はあまり好きではありませんが、手がけなければならない専門分野ではあると思います。しかしそのことがどうして普通の中でできないのか、盲学校やろう学校の中でしかできないのか。ここを崩していかないといけません。文部省が「テストケースとして大阪や東京だけでも公的に進めていこうか」と言い出すまで、あと何年必要なのか見当がつきません。現在の統合教育の事例は、まだまだ先発隊なのかもしれません。
 そして、これからどうなるんだということです。明日、鳥山先生の方からお話があると思いますが、普通校で誰が障害児を担任しても教育できる状況を作るためには、統合教育の客観化、科学化、学校の体制作りなどをどんどん積み上げていく作業が必要です。うまくいったという経験例は結構報告されるんですが、困惑した部分とか失敗したところはそんなに見えてきません。いろんな実例をたくさん積み上げていけば、一種の共通項みたいなものが出てきて、すんなりいくのではないかと思います。
「完全参加と平等」とか「ノーマライゼーション」とかうたい文句のようにいわれますが、統合教育に関してはそんな言葉がまだ空々しく聞こえるわけです。障害者の社会参加という観点からは、やっぱり制度的な裏付け、公的な保障ということがなければならないと思います。その上で、普通校と盲学校の先生方の連絡、教育委員会のバックアップが重なりあって、検討を続ける中で統合教育の中身は充実していくのではないかと考えるわけです。
 同じことは子どもたちだけに限りません。これは、障害者問題全般について言えることです。例えば、あんま・はり・きゅうに就かない人が、普通の会社に入って、目の見える人の中で人間関係をスムーズにこなし、仕事を順調にこなしていこうとする時、同じような壁にぶつかると思うんです。能率を求める社会にあっては、教育以上に厳しい場面が予想されます。とても意地や根性だけで乗り切れるものではありません。何かトラブルが起きた時に、問題をフォローしてくれる機関みたいなものがないと辛いですね。「せっかく普通の仕事に就いたけれど、辞めなければならなくなった」という話をよく聞きます。細かな中身は別として、社会の中で生きていくという点で、教育も職業も共通して配慮が必要な部分があるわけです。
 繰り返しになりますが、社会の中で私たちは少数派に属します。少数派の問題がみんなの課題となるためには、みんなに理解してもらうためには、小さな実践の積み上げて、声に出して訴えていくしかありません。その果てに、世の中にはいろんな人がいて、健常者も障害者もいて、それぞれに違う。それでも、みんな一緒に生きていこう、お互いの存在を認め合っていこうという考えを持つ人が多くならないと、今、私たちが抱えている苦労は果てしなく続くのではないかという気がします。その意味で、私たちが経験してきたことは、特殊でも何でもなくて、生きるということをどう捉えるか、社会と自分をどう捉えるかという人間の問題なのだなと、私は考えています。
 そして、更に付け加えれば、どんなに制度が整ってきたって、根本的には人の心が変わらなければ障害者問題は理解され受け入れてもらえたことにはなりません。そんなことをにらみながら、あまり焦らないで、我々の持ち場の中でやれることをコツコツやっていく。それをまた次の世代にバトンタッチしていくことなのかなと、私は思っています。

 



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