風はどこから…

スウェーデン・ノーマライゼーション体験の旅

 


主な執筆者

「ちがい」と「ゆめ」   河野 保子

行った・見た  斉藤 雅子

スウェーデンで考えた  椎木 章

スウェーデンを視る、そして日本が見える  谷 美智子

ドタバタ車イス旅日記  道官 敬子

親も切り開いた福祉  冨田 啓子

スウェーデンにおける障害児教育の制度と統合の実情  二文字 理明

福祉比較論  浜田 百合子

「心」のノーマライゼーション  福岡 直樹

誰もかれも人間の顔をしてる  矢崎 静代

「なってます」・「なりません」  山下 朱美

 



今、スウェーデンから学べること

二文字 理明


 スウェーデンの社会体制への賛否両論は、俗に言う「朝日」対「読売」の合戦に見る通りである。社会的弱者への対策の高水準ゆえに、スウェーデンを賛美する「朝日」。国際的競争力の低下、経済の低迷現象をとらえての、スウェーデン批判に走る「読売」。福祉国家体制がもつ「ジレンマ」、すなわち、「高福祉」とそれを維持するために必要不可欠の「高負担」が、それぞれの論理で処理され、個別のスウェーデン像を描く結果となっている。

 客観的に冷静にスウェーデンをみることが大事だと、人は言う。「朝日」も「読売」も間違いで、第三のスウェーデン像が描かれるべきであると。だが、生身の人間がスウェーデンを観察し、それぞれの主観でものを言い、書く以上、「朝日」対「読売」の図式が成立するのが、むしろ自然のように見える。問題は、それぞれの主観の「中身」ではないか。日本における、社会的弱者の現状が悲惨と映れば、相対的にスウェーデンは「すばらしく」みえるだろう。また、日本の社会的弱者の現状が悲惨と映らず、この打開策もせっぱ詰まったものでないとみれば、そして、経済万能こそすべてに優先するという視点に立てば、スウェーデンは、まさに「斜陽」に描かれて当然であろう。「朝日」も「読売」もスウェーデンという像に、別々の光を当てたもので、それぞれが主観的真実であるといえるかもしれない。

 ただ、スウェーデンにしばらくでも暮らした人なら誰でも気がつくように、スウェーデンにも良い面と悪い面があり、悪い面が特に気になるのである。従って、当初のスウェーデン賛美は段々と色あせ、むしろ批判することで快感を得るようになることが多い。この傾向はストックホルム日本人会の会報などに目を通せば一目瞭然である。「朝日」や「読売」のようなはっきりした論調になにやら気恥ずかしさを感じ、また、自らもたまにしたためる雑文の、スウェーデン寄りの論調に後悔の気持ちを感じてしまうに至るのである。

 スウェーデンの障害者の獲得した、社会制度上の諸権利の高水準ぶりは、少なくとも日本との相対化でみる限り、残念ながら、すばらしいという以外ない。金をしっかりかけて整備してきた結果であろう。これに対し、例えば、人と人との関係は、日本と変わらず「たいして暖かくもない」。統合教育にも限界がみられる。別学・抽出の傾向は衰えることなく続き、これに対する批判は弱い。スウェーデンの人は冷めており、日本における統合へのうねりが、「他人の理想主義」に映るらしい。武器を輸出して稼ぎ、自らの生活水準を上げ、かつ平和主義を標榜するスウェーデンの矛盾に似た何かを、障害者の教育の制度と内容のうちにみることができる、というと例が飛躍するだろうか。

 福祉には金がかかるのが当たり前であり、けちってはならない。経済が循環するものである以上、景気のよい今、日本が、福祉の充実に金を使わなければ、一体いつ使うのか。少々、いかなる差別が存続しようが、福祉の充実が果たされさえしていれば悲惨さが確実に軽減されるものであることを、スウェーデンは教えてくれている。たかがスウェーデン、されどスウェーデン。本当の意味で、「たかがスウェーデン」と言い得る時がくるのはいつのことだろうか。 (本書まえがきより)



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