きたぐちのくち −ある言語障害者のつぶやき 北口 幸男 著
“障害者”に“健常者”……この世にいろんな区切りはあるけれど、どうあがいたって“私は私”……。 脳性麻痺という障害を抱いて生まれ、いわゆる“障害者”として生きてきました。私に障害があるのだろうか、それとも周りに障害があるのだろうか…、悩みに悩んだ四十数年間。筋肉の硬直も、言葉がでにくいことも、二本足で立って走りまわれないことすらも、いつしか、私の日常となっていたのです。あらためて“障害者”だと意識することなんてほとんどない今日この頃。不思議に思われるかもしれませんが、四十数年という長い時間にあった多くのいろんな経験が、“私は私”であると思える今に、導いてくれたのでした。 初めて自分と周りの子どもとの間に違いを感じたとき、あれ?と不思議に思ったのを憶えています。みんながかけっこをやりだした時、養護学校への進学を言われた時、大学で自分の思いを言葉で伝えられなかった時など、なにか新しいことが始まる度に、自分が“障害者”であることを感じていたように思います。けれど、そんな経験を繰り返しながら、いつしかこれが普通、これが私になってきたのです。まあ、言ってしまえば一種の慣れ。 私と初めて出会った人は、まず車いすに乗った私の姿に戸惑い、筋肉の硬直による独特な動きにあっけにとられ、会話補助装置(キーボードで文を作成し、それが音声となる機械。通称「トーキングエイド」、もしくは「北口の口」)から抑揚の無い言葉が発せられた時には、もう既に目が宙を泳いでいる…。それでも二度、三度と出会いが重なるごとに、相手の反応が自然なものへと近づいてくるのです。一年、五年、十年越しの付き合いともなれば、車いすもトーキングエイドも持たない私は、私でないと言われるほどになるのです。 誰もが違った“私流のやり方”を持っているように、周囲からみれば障害とされるようなことですら、しっくりと馴染んだ“私流”。 約五十年間の一つひとつが重なり合って、人としての幅ができたような、できていないような……。 まあ、こんなことは死ぬ間際まで分からないままでいたいもの。とは言うものの、ただ、“私は私”へのつながりとして、これまでの一つひとつの経験を振り返ってみようと思います。
著者紹介 きたぐちゆきお 1960年、大阪生まれ。
|