針路をひとびとの只中へ

障害者の進路保障と就労

 


◆ もくじ ◆

はじめに

第1章 「淘汰」を超えて−梅谷 明子さんに聞く

第2章 進路保障の現場から

 1、自戒を糧に−八王子養護学校の進路保障の取り組み

 2、共に学んだ後は−豊中における進路保障の取り組み

第3章 働く場の現在

 1、難所をどう乗り切るか−長野県上田「福祉工場」

 2、施設否定から施設へ−通所授産施設「にっこり作業所」の足跡

 3、内なるものへ−堀田節子さんのNHK就労闘争

 4、地域が戦場になる−大谷強(大阪府立大学助教授)

第4章 ひとびとの只中へ−寝屋川市立中木田中学校の現場から

おわりに

 


 

 それまでの週間行事から「昇格」して障害者雇用促進月聞がスタートしたのは、一九六三年の九月である。身体障害者雇用促進法に法定雇用率の義務づけが明記された七六年には全国に拡がり、八一年の国際障害者年を契機に雇用促進キャンペーンは活気づいた。

 「障害を越える努力にこたえる社会」

 「ひろげよう障害のり越え働く職場」

 九月一日を持ち構えたように役所の壁面で垂れ幕が揺れ、マスコミは一斉に「障害者の雇用拡大を」と訴え始める。

 これらのキャンペーンには、共通した短いシナリオがある。典型的なのが、次のようなテレビのスポット広告だ。車イスバスケット選手の逞しい肉体、汗、弾むボール、的確なシュート、そして最後に「私たちに慟く場を!」。カメラアングルは常に「俯瞰」、上から下へだ。

 ただ「働く場を」ではない。「障害をのり越える努力」がまずあって、だから雇用を、という筋書きである。事業主に向けたアピールなのか、「もっと努力を」と障害者を叱咤するためのものなのか、時々分からなくなってくる。

 「障害」は病気のように始めと終わりがあるものではない。

 障害者は「障害」をわが身と分かちがたく、わが身そのものとして存在している。丁度女性が「女」を、被産別部落の人たちが「部落」を、在日朝鮮人たちが「朝鮮」を内在させるのと同じように。

 「障害をのり越える努力」が雇用の前提にあるのは、女をのり越える努力、部落や朝鮮をのり越える努力が雇用の前提にされるのと、同質である。

 それは「差別」と呼ばれてきたものではないだろうか!

 片腕切断や下半身マヒの人にとって、確かに「障害」は対象化され得る。「残存能力」のフル活用という企業の要請に、彼らなら応えることができるだろう。それも「障害者と就労」の問題の重要な側面である。しかし、一つの側面に過ぎない。

 重い全身性の身体障害や精神障害を持つ人たちの存在。

 本書の主要な関心は、そこにある。理由は三つある。

 一つは、より重い障害を持つ人たちや、彼らの問題を切り捨てることは、差別の再生産につながっていくからである。

 二つは、矛盾が最も集中して現れる所に、問題の本質が潜んでいるからである。

 三つは、現実的な問題として、学校の「進路保障」の現場で、各地の共同作業所や施設で重度障害者の問題が墳出しているからである。問題が噴出し始めたということは、それまで人々の目の届かない場所で「処理」されてきた問題が、それではすまなくなったとい
うことである。

 これまでの「福祉」の枠組みの破綻。政策、制度、法体系の破綻。

 そして、健常者社会の矛盾の露呈。

 問題を問題として把握できるのは、既に問題解決の手段が用意されているからである!

 本書は「ひとびとの只中へ」を唯一の指針にして、障害者の進路保障と就労の現場を追い、そこから「共生」の明日を透かし視ようとする一つの試みである。

 針路を違えないよう感覚を研ぎすまして、さあ、航海に乗りだそう。

(本書「はじめに」より)

 


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