「減刑バンザイ」に異議あり

「障害」児殺し事件をどう受けとめるか

― 奈良「ともに生きる」シンポジウムの記録 ―


はじめに

 父親が、障害をもつ自分の息子を殺した。
 裁判所の判決の中身は「父親の立場」に立ったものであった。マスコミもそうした父親に「同情します」と報じた。私たちはそれに怒った。私たちは殺された側の「障害児の立場」に立ちたい。
 しかしこうした「対立」をいうだけなら、話はおそらく水掛け論になって、「被害者も可哀相だけど、加害者も可哀相」という理屈にもそれなりの説得力がでてくる。結局、これからも繰りかえされるかもしれない同種の事件に対する歯止めにならない。
 私たちは単に、殺された障害児にも「同情してほしい」と言いたいのではない。
 殺人が法的・倫理的に「許されない」から「殺してはならない」という議論とは別の次元で、現実の問題として「殺す」以外の選択肢はあるのではないか。それを求めたい、というのが私たちの立場である。奈良県「障害者(児)」解放研究会のメンバーをはじめ、今回の被害者の少年より更に重度の障害者(児)と「ともに生きる」途を選んでいる人たちが、多くはないが確実にいる、という事実を踏まえてそのように考えたい。
 もとよりそれは独力では不可能だ(と言ってもいいほど困難である)。行政の制度を活用した上でなお、同じ地域社会に住む周囲の人たちの協力や理解を得られなければ、「ともに生きる」共同生活を持続させることはできないだろう。
 今回の事件の父親と家庭にはそうした協力者がいなかった(らしい)。検察側証人として出廷した隣家の人の発言がそのことを窺わせる。しかし、では「殺人犯」の父親に寄せられた減刑嘆願のその署名に参加した「二万人」とはどういう人だったのか。
 もし少年の生前に、この「二万人」の百分の一、いや千分の一の人たちが直接・間接にこの家族に関わっておれば、父親の懊悩は別の可能性にむけての模索へとつながったのではないか。問題はそこにある。
 自分(たち)の「善意」を疑わずに、「父親を救う」ために奔走し、それに同調した署名者の中には、他の人たちよりも直接に障害児の思いを聞くことができた筈の「日本自閉症協会」や、二つの養護学校の関係者ら合わせて二千名も加わっていた。
 至近距離からクローズアップされた障害児を見つづけた人たちが、加害者の父親と同じく、時間軸をも含めた息子・娘たちの全体像が見えなくなっていたことに気づかないままに。
 そこが更に悲しい。
 殺された十四歳の少年と、その「保護者」である両親を包囲していたのは、次のような「新聞の記事」や「市民の世論」があふれる社会(と同質の社会)である。
 「萎え身もてば吾に向けらるる記事かとも邪魔者は殺せの新聞の記事」(全身痙直性の脳性マヒ者・前田ヤス子の歌。「障害者の太平洋戦争を記録する会」仁木悦子編集『もう一つの太平洋戦争』所収)。
 「小父さん、もう、もう、銭は、銭は一銭も要らん! 今まで、市民のため、会社のため、水俣病はいわん、と、こらえて、きたばってん、もう、もう、市民の世論に殺される! 小父さん、今度こそ、市民の世論に殺さるるばい」(石牟礼道子『苦海浄土/わが水俣病』講談社)。
 もし現代日本の社会が重度の障害者にも必要最低限の生きる空間を(制度的にも・人間関係としても)保障していたならば、「息子」は殺されずにすんだ。この子はこの子の生命のリズムで生きていけばよいのだ、という励まされ方をしておれば、「父親」は殺人犯にならずにすんだ。障害者を生きにくくさせている私たちの国がまずあり、そこに息づく世間が、父親を追いつめて殺させながら、その後に「同情」するフリを演じたのである。私たちは断定したい。「他人の不幸は蜜の味」が言い過ぎなら、「他人の痛みは三年でも我慢できる」人たちがH君を殺した真犯人であったのだと。
 そういう世間と向き合い、そうした現実の中で「ともに生きる」ために、言葉と行為を一つにすることを願う者たちによって、このシンポジウムは企画された。

奈良「ともに生きる」シンポジウム事務局

 


【主 な 内 容 】

 

父よ!殺すな ―「ともに生きる」ための問題提起 梅谷 明子

 

シンポジウム

パネリスト
 高野 嘉雄(たかの・よしお)
1946年生まれ。1974年に弁護士登録。甲山事件、狭山事件、スモン薬害裁判などの弁護団に加わる。元奈良弁護士会会長。

三毛 典明(みやけ・のりあき)
1949年生まれ。1968年に奈良県に入職。県教育委員会・生涯学習課参事などを経て、2002年から障害福祉課課長。

杉本 章(すぎもと・あきら)
1938年生まれ。NHKディレクターを経て、1994年から2007年まで大学教員。

梅谷 明子(うめたに・あきこ)
1939年生まれ。養護学校義務化に反対し「尚司君を富雄中学へ」運動を呼びかける。奈良県「障害者(児)」解放研究会・事務局長、大柳生牧場作業所所長。


司会
 吉田 智弥(よしだ・ともや)
1941年生まれ。奈良県地方自治研究センター在職時に障害者ネットワークの事務局担当者となる。2003年から奈良県「障害者(児)」解放研究会代表。

 

全人双方向的な交通をどうつくり出していくか  杉本 章

 

少し長すぎる私記スタイルの「あとがき」 吉田 智弥

 

資料 最終弁論/神戸地方裁判所・第4刑事部判決 ほか

 


 


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