【特集】 マスメディアと人権と私たち
私たちは、多かれ少なかれマスメディアの影響を受けて暮らしている。洪水のような情報の中で溺れないように、学校では身を守る教育も始まっている。自分で感じ考え、自分の中の疑問符を言葉にする授業変革も試みられつつある。しかし、使われる教科書の土台はあくまで“教え導く”側の大人が考えている。
テレビのCMは、依然として美しいお姉(兄)さんたちに占められている。深夜時間帯に“超”高齢者や障害者が顔を出して、介護現場の大変さがリアルに描かれることもある。だが作り手は“介護する側”に立ち、“介護される側”の視点は持たない。新聞社やテレビ局には“超”高齢者も障害者もいないのだから仕方ないか? あくまで社会の陥穽に落ちていない人が、他人事のニュ―スとして届ける。「今日も障害者が殺されました」。
私たちは“消費する・消費される”メディアに慣れきってしまったのではないだろうか? 本来、メディアは「人と人」「人と社会」をつなぎ、個々の幸福を実現させるために存在するはずである。それゆえに、権力を監視し社会の矛盾を問う責務があるはずである。この国のマスメディアの在り方と人権意識はどこでどのように接続し、私たちの生活にどんな影響を及ぼしているのか。読者とともに考えたい。
→ 「季刊しずく」
第24号 もくじ
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