しずくタイトル

第28号 2025年4月20日発行

B5版32ページ 定価300円(送料別)  年間(4冊)定期購読料 1,200円 (送料とも)

 

 

【特集】   私のからだは“わたし”のものか


  厚生労働省は、「『臓器の移植に関する法律』の運用に関する指針」の改正に向けて、15歳以上で知的障害等のために意思表示が困難であることが判明した場合、当該者からの臓器摘出は当面見合わせるとする内容を削除する案を公表し、パブリックコメントを越年で実施した。障害当事者団体からは反対声明も出ている。意思表示が困難とされる障害者の臓器提供が、家族等の“わたし”ではない者によって決定される道が開かれようとしている。

 昨年、最高裁判決で差別性と国の責任が認められた旧優生保護法による強制不妊手術は、“わたし”の意思を必要としないものだった。現在も少子高齢化の進行を背景に、「産む性」としての女性の意思決定に国家や社会が介入しようする現実がある。

 一方で“わたし”の意思決定を前提とした安楽死を認める国々も増えている。医療現場では血液検査による出生前診断が広がり、障害胎児の選択的中絶を自己決定する妊婦もあとを絶たない。さらに貧困がまん延する社会では、“わたし”の決定として臓器売買が許容されることすらある。

 これらは、人間の生を大きく揺さぶってきた問題であるだけではなく、からだを所有しているのは“わたし”なのかという問題、からだのことを決める際に前提となる自己決定や意思決定の問題をもはらんでいる。私のからだは誰のものか、いまあらためて考えたい。

 

 

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