鳥にしあらねば 102

 

『殺したんじゃねえもの 363』(2017年11月発行)より

  相模原障害者殺傷事件から1年4か月が過ぎた。ちょうど1年にあたる7月26日前後に、メディア各社はU被告の近況を報じたが、それもあっという間に消えた。致し方ない面もある。昨年9月21日から今年2月20日まで実施された精神鑑定で、Uには自己愛性など複合的なパーソナリティ障害があるとされた。それを受けた横浜地検は完全責任能力が認められるとして2月24日、19人の知的障害者に対する殺人、24人の障害者への殺人未遂、3人の職員への監禁致傷などでUを起訴した。

 事件は裁判員裁判にかかることになり、9月28日、第1回の公判前整理手続が横浜地裁で行われた。この時点で既に起訴から7か月が経過しているので、その間弁護人の選任や被害者名を匿名にするかどうかなど、水面下でさまざまな調整が行われただろうことが推測できる。そして公判前整理手続がスタートしたわけだが、問題はこの手続きが事件の争点と証拠を整理するというとても重要なものであるにもかかわらず、非公開で進められるということだ。憲法82条の「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ」といういわゆる公開原則との関係で、私は非公開には大いに問題があると思っている。それは置いておくとして、先に、メディア報道が途切れるのは「致し方ない面もある」と書いたのはそういうことだ。報道しようにも情報が遮断されて外に出ない。事件への人々の関心が急激に薄らいだのには、時間の経過だけではなく、そんな事情も影響しているだろう。

 ただ、メディアが面会や手紙を通して得たU被告の発言をあまり報じないのには、他にも理由があるのではないかという気がする。月刊『創』の篠田博之編集長は、今年8月以降U被告との面会や手紙のやり取りを続け、その内容を『創』誌上やウェブサイト(iRONNA)で公開している。それを読むと、Uは事件前に書いた「衆議院議長への手紙」と変わらない主張を現在も続けていることが分かる。いや、変わらないと言うより、一層その“思想”を強化させているように見える。7月21日消印の手紙の一部を紹介しよう。

 「世界には“理性と良心”とを授けられていない人間がいます。人の心を失っている人間を私は心失者(U自ら「シンシツシャ」とルビをふっている)と呼びます」。

 「重度・重複障害者を養うことは、莫大なお金と時間が奪われます。/彼らには多種多様な個性がございます。/何もできない者、歩きながら排尿・排便を漏らす者、穴に指をつっこみ糞で遊ぶ者。奇声をあげて走り回る者、いきなり暴れ壊す者…」。

 この後も彼が「多種多様な個性」と呼ぶものが列挙されるのだが、ここまでで十分だろう。彼にとって障害者は今も「不幸をまき散らすもの」以外の何者でもない。

 そんなことを書いた上で彼は、「世界の平和と安定」のために「意思疎通がとれない人間を安楽死させます」「大麻は嗜好品として使用・栽培することを認めます」「軍隊を設立します」など「7項目の秩序」なる提案を綴っている。どうも彼は「7項目の秩序」を含め右に紹介したような内容の手紙を、篠田さんだけでなくメディア各社に何度も送りつけたようなのだ。あくまで推測だが、メディアが右のようなUの発言の報道を避けたとすれば、それは彼の“思想”の「宣伝機関」として利用されるのを恐れたせいかも知れない。

 しかし、施設や家庭や職場で力弱い者への虐待が繰り返される今の状況は、相模原事件への関心を持ち続けることの必要性を訴えているように思う。根は深く地中でつながっている。私たちの社会という土壌を根気よく掘り返し新たな命のために耕す仕事が、これまで以上にメディアには求められている。