鳥にしあらねば 103

 

『殺したんじゃねえもの 364』(2017年12月発行)より

 少々乱暴な言い方をすれば、私たちは見たいものだけを見、聞きたいものだけを聞く。例えば渋谷のハチ公前や梅田の紀伊國屋ビッグマン下の人ごみの中で友人や恋人と会話ができるというのは、実に驚くべきことだ。ひっきりなしに行き交う車や電車の音、大音量のアナウンス、何十、何百の人々が発する言葉…。それらの氾濫する音の中から、私たちは無意識に聞きたい音を選び取っている。それは、経験が作り出した生きるための智慧だ。知覚は瞬時に大脳で選別され取捨され形成されて生活に供される。その機能を失えば、私たちは光や音の洪水に押し流され、カオスのただ中で溺れ死ぬことになるだろう。

 そのありがたい機能が、往々にして私たちの認識を歪める。知りたいことだけが意識の中で膨らみ、そうでないものが萎んでしまうからだ。宮田律さんの『ナビラとマララ―「対テロ戦争」に巻き込まれた二人の少女』(講談社)はそのことをとても分かりやすく教えてくれる。

 マララ・ユスフザイを知らない人はいないだろう。女子が教育を受ける権利を訴え続けた結果、12年10月にパキスタン・タリバン運動(TTP)の兵士によって下校途中のバスの中で銃撃され、銃弾が頭部を貫通した。何とか一命を取り留めた後の彼女の活躍はめざましい。私は13年7月の国連での演説をユーチューブで見たが、教育の重要性を訴える堂々たる姿はとても16才の少女とは思えなかった。その年彼女は当時のオバマ米大統領夫妻と会見し、翌14年にはノーベル平和賞を受賞、今年4月には19才で国連平和大使に任命されている。

 一方のナビラ・レフマンを知る人はほとんどいないのではないか。パキスタンの部族地域で生まれた彼女は、マララが襲われた半月後、祖母たちと自宅近くの菜園で畑仕事をしていたところを米CIAのドローン(無人攻撃機)が放ったミサイルで爆撃された。祖母は即死し彼女も重傷を負う。その後彼女は、米議会でドローンによる民間人被害の実態を訴えようとしたが、435人の下院議員のうち公聴会に出席したのはわずか5人だった。

 同書によれば、米軍兵士の戦死者数が増加するのを恐れたオバマ政権は誕生後5年の間にパキスタンなどでブッシュ政権時の8倍に及ぶ390回以上のドローン攻撃を行い、多くの民間人が犠牲になった。その後、ナビラの父親は子どもの治療費のため親戚から借金を重ね、14年にパキスタン軍がTTPの掃討作戦を始めたため、ナビラ一家は国内避難民となって仮設小屋で暮らすことになる。16年3月22日の毎日新聞によれば、その後日本の有志の支援を受けて、ナビラは2年半ぶりに北西部ペシャワルの私立学校に通い始めたという。

 同じ対“テロ”戦争の被害に遭った2人の少女は、その被害を与えた者がどの世界に属しているかによってまったく違う道を歩むことになった。一方の声には“自由と民主主義”世界全体が耳をそばだて、もう一方の声にはほとんど誰も耳を傾けない。私たちはそういう世界を生きている。

 そこでまた、昨年の相模原障害者殺傷事件を思う。犠牲者たちは今も匿名のままだ。しかし、彼ら彼女らは事件が起きて初めて匿名にされたわけではない。私たちの隣近所の普通の家庭に生まれ、障害のない子どもと同じように“顕名”で生き始めたにもかかわらず、ある日施設という特殊な空間に追いやられ、その時社会から匿名化された。事件を受けて、これまで以上に「地域移行」の必要性が語られるようになった。私もそれを支持する。ただし「移行」と言うより「帰還」なのだ。何十万人にも及ぶ障害者たちの地域帰還作業に本腰を入れ、人々の関心の扉をこじ開けないといけない。