鳥にしあらねば 104

 

『殺したんじゃねえもの 365』(2018年1月発行)より

 「国体」を広辞苑(話題になっている第7版ではなくて第4版)で引くと「@国家の状態。くにがら。くにぶり。A国家の体面。国の体裁。B主権または統治権の所在により区別した国家体制。『―の護持』C国民体育大会の略称」とある。これから書こうとする「国体」はBに近いが、これだと例えば主権在民の国家体制も「国体」の一つということになる。そんな使用例を私は寡聞にして一つも知らない。

 広辞苑はどうも歯切れが悪い。そう思ってウィキペディアで「国体」を引いたら「事実上、日本の事象に特化した政治思想用語であり、特に『天皇を中心とした秩序(政体)』を意味する語とされている。そのため、外国語においても固有名詞扱いで“Kokutai”と表記される」とある。これでだいぶすっきりした。文部省(当時)が1937年に編んだ『国体の本義』冒頭の「肇国」の章にも「大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である」とある。「国体」は天皇制を軸とした“神国”日本を支える国家体制であり、その思想は第二次大戦に敗北したことによって「永遠に」葬られるはずだった。

 もちろんきれいに一掃されたわけではない。それどころか戦後すぐの神社本庁の設立以後、神道政治連盟(69年)、日本を守る会(74年)、日本を守る国民会議(81年)、そして97年の日本会議の結成に至る流れを見れば、「国体」思想が脈々とこの国の底を流れ続けてきたことは明らかだ。それが99年の国旗・国歌法制定、06年の教育基本法改「正」、そして今安倍首相が政治生命をかける憲法改「正」につながっていく。その流れは今や社会の表層にまで達し、巷には「日本、スゴイ!」系の書籍やテレビ番組があふれる。まるで国際競争力の低下を補うように、右傾化の流れは日々勢いを増している。

 さて、どうして今さら「国体」を辞書で調べようと思ったのか。それは毎日新聞の牧太郎さんの「『国体』を連発する“貴乃花ナショナリズム”の恐怖?」(『サンデー毎日』1月28日号)という文章にウェブ上で出会ったからだ。私は八百長問題が表面化した11年にこの連載で、大相撲は神事として保存すればいいというようなことを書いた。公共の電波を使って連日全国中継などしなくていいのだ。その後、日本出身横綱を待望する声に後押しされて稀勢の里が綱を張り、土俵が日を追って国威発揚の場と化すに至って、さらに私の相撲への関心は薄らいだ。そこに、暴力事件に端を発する貴乃花親方と相撲協会のゴタゴタである。愛弟子の被害を契機に協会を改革したいのなら、協会幹部でもある貴乃花は堂々とそう主張すればいい。それなのになぜ彼は沈黙を貫くのか、私にはほとんど理解不能だった。

 そのうちに、貴乃花の復古主義的な「相撲道」の提唱が私の耳にも聞こえてきた。牧さんは先の文章で、『週刊朝日』の記事を引用する形で「(相撲協会は)国体を担う団体。日本を取り戻すことのみが、私の大義であり、大道だ」という貴乃花の言葉を伝え、次のように結んでいる。「『陛下の御守護をいたすのが力士の天命』と貴乃花親方は考えていると聞く。 明治以来、大相撲が『国技』と言い出したのは、税制面で有利な扱いを受けるためだが……逆に、大相撲を国威発揚に利用する人々が存在する。/不安である」。

 1月場所の番付表を見ると、外国出身の関取(十両以上)は66人中19人で3割近い。牧さんの記事が事実なら、そんな国際化と右傾化が同時進行する時代にあって、貴乃花と彼を支持する親方衆やファンの存在は不気味としか言いようがない。