鳥にしあらねば 105

 

『殺したんじゃねえもの 366』(2018年2月発行)より

  チャールズ・ダーウィンが『種の起源(On the Origin of Species)』を著したのは1859年、今から160年前だ。彼が非凡なのは、世の中に実に多種多様な生き物が存在することに驚き、その理由を知ろうとしたところにある。私は山陰の田舎で育ったから、魚やカエルやとんぼは物心ついたころから大の友だちだった。「友だち」と言えば聞こえはいいが、往々にしてイジメや虐待の対象だった。今だから白状するのだが、当時「2B弾」というマッチ棒を大きくしたような玩具花火があった。その先端をマッチ箱ですって投げると中の火薬がバンッと大きな音とともに爆発する。そんな危険なおもちゃが駄菓子屋で普通に売られていた。私たちはその「2B弾」で、罪もないカエルたちを情け容赦なく攻撃した。本当に申し訳なかった。

 という懺悔(ざんげ)をここでしたかったのではない。そんな子ども時代を過ごしたのに、悲しいかな、どうして周りにこれだけ多様な生き物がいるのかをこれっぽっちも疑問に思わなかった。それがダーウィンと私のような凡人との違いだ。彼はたいていの者が見過ごしてしまうごく当たり前のことに疑問を抱いて「進化論」にたどり着いた。

 ただし、くどいようだが、彼はあくまでも生き物の多様性の原因を解明しようとしたのであって、ヒトが「進化」の頂点に位置することを証明したかったわけではない。だから彼は『種の起源』では最初、「進化(evolution)」ではなく「変化を伴う系図(descent with modification)」という表現を使った。その『種の起源』の20年ほど前、彼が「秘密のノート」と呼んだノートに描いた系統図は、地中で枝分かれを繰り返す木の根のようだ。そこには高等と下等の区別はない。枝の先端にA、B、Cと記号を振った図の下に、彼は「AとBとの関係には大きな隔たり、CとBとの間には細かな移行がある」などと書き込んでいる。「進化」と言うより「分化」なのだ。それがどの時点で、後に「ヘッケルの系統樹」で知られるような、人間を頂点とする巨大な樹木の図となったのか。ダーウィン自身がアリストテレス以来の動物分類学から自由ではなかったのか、あるいは当時支配的だったキリスト教的な世界観との対立を避けようとしたのか。その辺りのことは私には分からない。

 そのダーウィンの母方のいとこにあたるフランシス・ゴルトンが、「進化論」の影響を受けて優生学を提唱したのはよく知られている。人間社会は福祉制度などという余分な制度を作ったせいで、本来淘汰されるべき“不良な”人間の存在を許してしまった。だから人為的に淘汰することが必要だと彼は主張した。私はここにダーウィン理論の歪曲や矮小化を見るのだが、それはさておき、優生学はその後欧米や日本を席巻することになる。1907年に米インディアナ州で世界初の断種法が制定され、以後23年までに全米32州に拡がった。西欧でも29年のデンマークを皮切りに、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、スイス、エストニアで相次いで断種法が制定、33年にはナチス・ドイツでも断種法が制定され後の障害者安楽死作戦(T4作戦)につながっていく。

 今年の1月30日、40年前に強制不妊手術を受けた宮城県内の知的障害の女性が1100万円の慰謝料を求めて国家賠償請求訴訟を起こした。新聞は「ナチス・ドイツの『断種法』をモデルとした国民優生法を前身とする旧優生保護法の下で手術を強制したのは憲法に違反するとして提訴する予定だ」(12月3日毎日)などと報じた。しかし右に記したようにナチスにもまたモデルがあった。ダーウィンまで責を問われるべきか疑問だが、そのモデルの起源(Origin)が戦争の20世紀を支え現在も息づく西欧近代の価値観にあるのは確かだろう。