鳥にしあらねば 107

 

『殺したんじゃねえもの 368』(2018年4月発行)より

  相模原市で知的障害者殺傷事件が起きて21か月になる。事件への人々の関心は薄れ、と言うより消えて、メディアも事件の掘り下げや裁判の現状を報道することはほとんどない。深い傷を負った障害者たちが順調に快復しているのかどうかも気になるところだ。

 昨年9月に始まった公判前整理手続は半年が経った今もまだ続いている。今年1月26日の時事通信(JIJI.COM)によれば、弁護側は起訴前精神鑑定に次ぐ2回目の精神鑑定を横浜地裁に請求し認められたという。U被告が今も犯行を正当化する言動を繰り返している以上、刑事責任能力が重要な争点になるのは明らかだから、弁護方針としては当然だろう。

 1979年に創刊した障害者問題誌『そよ風のように街に出よう』の終刊を決めたのは事件の1年ほど前で、実際に最終号を出したのは事件の1年後である。最終号の発行に前後して、何人もの読者からカンパが届いた。振込用紙にはたいてい38年間の『そよ風』発行をねぎらってくれる短い言葉が添えられていたが、中に「今後も何らかの形で発信を続けてほしい」という言葉とともに送金してくれた読者が何人かいた。その人たちがそういうふうに言ったのにも、その言葉を受けた私が、言わば「ポスト・そよ風」について考え始めたのにも、相模原事件が影響を与えたのは言うまでもない。

 『そよ風』は障害者に地域で生きるための情報を届けることと、障害者の思いや生活を社会に届けることの2つを目的としていた。でも創刊から40年近くが経って状況は大きく変わった。街のバリアフリー化や介護制度の拡充もそうだが、何よりも障害者自身が「私たち抜きに私たちのことを決めるな」というスローガンのもとに集い、社会的な発言力を強めたことがある。もちろん圧倒的な少数派だし、力も十分とは言えない。でも『そよ風』の役目が終わったのは読者の減少一つをとっても明らかだった。『そよ風』の存在そのものを知らない若い障害者がずい分増えた。逆に言えば知らなくても、十全とは言えないが地域で生きることが可能になったのだ。

 そんな状況の一方で、新型出生前診断に妊婦たちが殺到している。13年4月から4年半の間に5万人余が診断を受け「異常あり」とされた妊婦の94%(子宮内死亡を除くと比率はさらに上がる)が中絶を選択した。そして今、日本産科婦人科学会は同診断を臨床研究段階から拡大する方針を示している。そのような事態と相模原事件は決して無縁ではない。無縁ではないどころではない。『そよ風』終刊で「後はよろしく」などと悠長なことを言っておれなくなった(もちろんそんなことを言うつもりはなかったが)。

 そこで「ポスト・そよ風」である。『そよ風』ほどお金をかけず、肩ひじ張らず、編集同人というフラットな関係で小冊子を発行できないかと考え始めた。しばらく考えて、考えているだけでは前に進まないという至極当然なことに気づいて、「ええい、ままよ!」と友人たち(その半分は障害者)にメールを発信した。分断や排除が進む今の社会を変えたいと願い、変えられると信じて、ものを書くことにこだわっている友人たちである。と言っても私の交友範囲は広くないし、かえって迷惑かも知れないと考えて声をかけるのを遠慮した人もいる。

 悩んだ末に「私には荷が重い」と返事をくれた一人を除いた全員が、一緒にやろうと手をあげてくれた。いずれも私には過ぎた友人たちである。そして総勢10人の同人が『季刊しずく―だれ一人しめ出さない社会へ』の船出を共にすることになった。「しずく」は水面の波紋、乾いた喉を潤(うるお)す水滴、石をうがつ雨だれなどをイメージした。今年7月、相模原事件から丸2年をめどに創刊号を発行しようと準備を進めている。ぜひ皆さん、買って、読んでください!