鳥にしあらねば 109

 

『殺したんじゃねえもの 370』(2018年6月発行)より

 金聖雄監督の『獄友(ごくとも)』は5人のえん罪被害者を撮ったドキュメンタリーだ。登場するのは狭山事件(1963年)の石川一雄さん、袴田事件(66年)の袴田巌さん、布川事件(67年)の桜井昌司さんと杉山卓男さん、そして足利事件(90年)の菅家利和さんである。

 撮影時には皆“シャバ”の空気を吸う身だが、それぞれの置かれた状況は異なる。石川さんは77年に無期懲役が確定し94年に仮釈放、現在第3次の再審請求中である。袴田さんは80年に死刑が確定したが14年に再審開始決定、同時に死刑と拘置の執行も停止された。桜井さんと杉山さんは78年に無期懲役が確定し96年に仮釈放、11年に再審無罪判決を得た。菅谷さんは00年に無期懲役が確定したが、DNA鑑定結果を受けた検察が刑を執行停止し09年に釈放、10年に無罪が確定した。

 つまり桜井さん、杉山さん(映画撮影後の15年に死去)、菅谷さんの3人は雪冤を果たしたが、袴田さんは再審開始決定を得たものの死刑囚のままであり、石川さんは未だ再審が認められていない。5人は長い獄中生活を体験し、互いに「獄友」と呼び合う関係なのだが、刑事司法上の立場はそのように異なっている。

 映画は怒りやえん罪の理不尽さを訴えるといったメッセージ性を極力おさえ、淡々と5人の交友の姿を追いかけ、丁寧に彼らの言葉を拾う。映画に強いメッセージ性を求める者には物足りないかも知れないが、事件の中身をある程度知っている者には興味深いエピソードを提供してくれる。

 私は石川さんが無罪が確定するまで両親の墓参りをしないと心に決めていることは知っていたが、彼が毎日散歩するコースのすぐ脇にその墓があることは知らなかった。それを知って、石川さんの決意が並々ならぬものであることに改めて気づかされた。杉山さんの言葉も印象的だ。彼は支援者たちの前で「私は逮捕されて本当によかったと思っている。捕まってなかったらたぶんヤクザの親分になって人を殺してるか殺されてるか、どっちかだ」というようなことを語って笑いを誘った。他のえん罪事件の支援にも取り組む桜井さんと違って我が道を行くといった感じだが、その飄々(ひょうひょう)とした人柄には魅了された。早逝が実に残念である。足利事件の菅谷さんも、事件当時の自分の内向的な性格を振り返りながら、えん罪被害者になることで得た多くの人たちとのつながりを語った。総じて明るく、わが身に降りかかった禍(わざわい)をプラスに転じようと努めている姿が心に残る。その背後にある壮絶な体験と深い絶望を想像すると、その明るさがかえってえん罪という国家の犯罪の重大さを教えてくれる。

 そして袴田さんである。彼は5人の中で唯一の死刑確定者で、そのことが現在の精神状態にも大きな影響を与えている。映画の中でもとにかく歩く、歩く。歩き続けることは、彼が48年間の拘禁生活で得た死の恐怖と闘う術(すべ)ではないかと思わされる。14年の再審開始決定(村山浩昭裁判長)は、捜査機関による証拠ねつ造の可能性に言及した後、「これ以上、拘置を続けるのは耐え難いほど正義に反する」という言葉で結ばれている。多くの人がそこに裁判官の反省と謝罪を読み取り、二度と袴田さんは拘置されることはないと確信したに違いない。

 しかし6月11日、東京高裁は再審請求棄却決定を出した。決定の内容に立ち入る余裕はないが、裁判官たちの意見がこれまで大きく割れてきたことだけを見ても、死刑判決など維持できないのは理の当然ではないか。今回棄却を決定した大島隆明裁判長は、治安維持法下のえん罪事件・横浜事件の再審開始を決定した人物だ。80年代の4つの死刑再審以後は、国のメンツにかけても死刑再審は認めないということなのか。