鳥にしあらねば 111

 

『殺したんじゃねえもの 372』(2018年8月発行)より

  このような思想はどんな環境の下で誕生し、成長し、不動のものになるのか。それを知る必要がある。自民党の杉田水脈(みお)衆院議員は『新潮458月号に「『LGBT』支援の度が過ぎる」と題する文章を寄せた。全文は3千字を越えるので以下はそのごく一部の引用ではあるが、内容的にはほぼすべてだと言っていい。

 「リベラルなメディアは『生きづらさ』を社会制度のせいにして、その解消をうたいますが、そもそも世の中は生きづらく、理不尽なものです。それを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育の目的のはず」。

「例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば(略)大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」。

 そして最後は、「『常識』や『普通であること』を見失っていく社会は『秩序』がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません。私は日本をそうした社会にしたくありません」と結ばれる。

 自己責任論を振りかざし、多様性を否定し性的少数者を嫌悪し、その権利主張を封じ込める。言葉づかいこそ丁寧だが、内容はヘイトスピーチそのものだ。LGBTの当事者だけでなく、この国の「社会の崩壊」を危惧する多くの人たちから批判が噴出したのは当然だろう。

 もっとも彼女の同様の発言は今に始まったことではない。『なぜ私は左翼と戦うのか』(2017年、青林堂)という著書では「性差による役割分担は神様がおつくりになったもので、人間がそれを否定することはできません」と述べ、「男女平等などは妄想だ」と断言する。その前年に出た対談本『「歴史戦」はオンナの闘い』(PHP研究所)では「慰安婦像を何個立ててもそこが爆発されるとなったら、もうそれ以上、建てようと思わない。立つたびに一つひとつ爆破すればいい」といきり立っている。

 これだけでも衝撃的だが、産経新聞の連載「杉田水脈のなでしこリポート」第8回「『保育園落ちた、日本死ね』論争は前提が間違っています 日本を(おとし)めたい勢力の真の狙いとは…」(16年7月4日)はさらにその上を行く。保育園に入れなかった子の母親が書いたブログが大きな反響を巻き起こしたのをご記憶の方は多いだろう。杉田氏は、子育ては本来家庭が担うべきものだとした上で、「保育園落ちた」のは公平な選考によって保育の必要度が低いと判断されたに過ぎないとその母親の訴えを切って捨てる。その「リポート」の結論部分はこうだ。

 「旧ソ連崩壊後、弱体化したと思われていたコミンテルンは息を吹き返しつつあります。その活動の温床になっているのが日本であり、彼らの一番のターゲットが日本なのです。/これまでも、夫婦別姓、ジェンダーフリー、LGBT支援などの考えを広め、日本の一番コアな部分である『家族』を崩壊させようと仕掛けてきました。今回の保育所問題もその一環ではないでしょうか」。

 75年前に消滅したはずの共産主義政党の国際組織が亡霊のごとく(よみがえ)って日本の美しき伝統を破壊しようとしている、女性の権利を主張する者はその手先だ…。荒唐無稽な陰謀論だと笑ってすませたいのはやまやまだが、そうもいかない。この杉田氏の主張は安倍首相の「夫婦別姓は家族の解体を意味し、左翼的かつ共産主義のドグマだ」という主張(『WiLL107月号)と完全に重なる。だから安倍首相は彼女を絶賛し自民党にスカウトした。私たちは欧米で極右政党が伸張し排外主義を煽るのを大いに憂えるが、戦前回帰を夢見る極右集団は既にこの国の政権中枢にいてそのネットワークをさらに拡大しつつあるのだ。