鳥にしあらねば 84

 

『殺したんじゃねえもの 345』(2016年5月発行)より

  ちょっと気が早いけど、暑い夜にもってこいの話をしよう。下の写真は4月末、和歌山カレー事件で死刑が確定し再審を請求中の林眞須美さんから私に届いた郵便物に同封されていたものだ。少し見づらいかも知れないが、写真の左下に見える封筒は、私が昨年の8月、林さん宛てに出したもの、そして3枚の切片は、その時の私の手紙。正確に言うと、私の手紙の切り刻まれた残骸である。目を凝らすと紙片のそれぞれに、桜花の輪郭に「大」の文字が入った小さな印が捺(お)されている。「大阪拘置所検閲済み」を示す印だ。投函した手紙が、半年以上も経ってから無残な姿で差出人に戻ってきた。そのいきさつを聞いていた林さんへの手紙だこう。

 私が林さんに送った手紙は以下の通りだ。少々長いが、大阪拘置所が私たちの税金を使ってどんな仕事に汗しているのかを知ってもらうため、省くのは3分の1ほどにとどめた。

林眞須美様/暑中お見舞い申し上げます。/(略)文書についてはご指示通りコピーを作成し当方で保管しています。/死刑確定者に対する外部交通の甚だしい制限が、憲法の定める基本的人権を侵害しているのは明らかであり、大阪拘置所においても(略)運用が改善されることを強く望みます。/(略)既にご存知かも知れませんが、作家の帚木蓬生(ははきぎほうせい)氏が7月、和歌山カレー事件を題材として新潮社から『悲素(ひそ)』と題する小説を発表しました。(略)ぜひご一読いただきたいと思います。/今しばらく酷暑の日々が続きそうです。くれぐれもご自愛の上、ご奮闘いただきますよう心よりお祈りいたします。/2015年8月7日 小林敏昭

 時候の挨拶や激励の部分までカットされ、ハイライト部分だけが生き残って、写真のような状態で林さんに手渡された。

 死刑確定者の外部交通権が、懲役刑の受刑者以上に制限を受けているのは周知の通りである。家族や弁護人以外は、刑事施設長が認めた者しか許されない。2006年、監獄法が刑事収容施設法に改定されてやや制限が緩んだが、施設長の裁量にまかされていることに変わりはない。施設の処遇に対して苦情を述べたり自分の権利を主張する者に対しては、とりわけ制限が厳しい。従順でない者に制裁が科されるのは塀の中も同じだ。林さんも家族と弁護人以外、誰一人面会や文通を認められていない。それに対して、彼女は以前から果敢に闘いを挑んでいる。私を含めた何人もの人たちから届いた手紙の交付をめぐって、国と拘置所を相手に損害賠償と措置(信書の削除や抹消)の取り消しを求める本人訴訟を起こしているのだ。そして、その訴訟に陳述書を提出してほしいという私への依頼のために、訴状や国の答弁書と一緒に私が出した手紙を送ってきたというわけだ。

 刑事収容施設法139条は死刑確定者に発受を許す信書として、家族の他、訴訟の遂行のためや「心情の安定に資すると認められる」ものなどを列記している。この「心情の安定」の5文字は、死刑確定者の処遇規定にだけ出現する。そもそも、これから殺されようとしている者に「心情の安定」などがあり得るのか。無実を訴え処遇の改善を求める者の「心情の安定」とは何か。それは本人の意向に関係なく他者によって「認められる」類(たぐい)のものなのか。私の手紙を細かく切り刻む刑務官の後ろ姿を思い浮かべると、背筋に冷たいものが走るのだが、さて、皆さんはどうか。