鳥にしあらねば 88

 

『殺したんじゃねえもの 349』(2016年9月発行)より

 私が副編集長として編集の実務を担っている障害者問題の雑誌『そよ風のように街に出よう』が来年、刊行を終えることになった。一昨年の暮れあたりから、その話は出ていた。編集部の中心メンバーの高齢化と読者数の減少が主な理由である。要するに世の中が『そよ風―』を従来のようには必要としなくなったということであり、実際のところ今の若い障害者は『そよ風―』の存在すら知らない者が圧倒的に多いのだから、私もそろそろ幕を降ろす潮時ではないかと感じていた。

 編集部内にはすぐに廃刊にしようという意見もあったし、まだ続けるべきだという意見もあった。ただ口角泡を飛ばす議論が交わされたわけではなく、どちらかと言えば静かにこれまでを振り返るような話し合いだった(そのこと自体が高齢化を物語っているのではある)。私はその2つの中間を主張した。「定期購読という形で4号分を先払いしている読者がいるので、その分だけは発行したい」。そして「廃刊」ではなく「終刊」と呼ぼうと提案した(その辺の私の思いは、編集部のサイトhttp://www.hi-ho.ne.jp/soyokaze/essay-kotoba.htmにやや詳しく書いた)。実務を担当している者がそう言えば、結局そこに落ち着くことになる。昨年1月に87号を発行した後、あと4号、91号までを発行して終刊とすることが決まった。その後88号(15年9月)の編集後記で読者に告知し、89号(16年4月)の特集を「終刊へのカウントダウン」として編集部の座談会を組んだ。

 以上が終刊を公表するに至る流れで、ここまでは想定通りである。ところがその後、2つの出来事がわが編集部を襲う。1つは、89号発行2か月後の6月下旬、編集長の河野秀忠が自宅で転倒して前頭部を強打し、硬膜下血腫と脳挫傷で緊急手術を受けるという事態が発生した。このところ足元がおぼつかなくなっていて、それでも車を運転するので、免許証を返上したらどうかと勧めていたところだった。幸い命は取りとめ、現在はリハビリ専門病院に移って少しずつ意識も取り戻しつつある。しかし脳が受けたダメージは大きい。ベッド上で時間と空間を飛び越えたりしながら、ほとんど聞き取れない、か細い声でつぶやく毎日である。いよいよ終刊という大事な時に、世界で一番『そよ風―』を愛する人間が、世の中に向けてその思いを語れなくなってしまった。大誤算である。

 もう1つの衝撃が更にその1か月後に相模原で起きた障害者大量殺害事件だ。事件後メディアから取材申し込みが相次いだ。読売新聞は事件前から『そよ風―』終刊を取材していたが、事件後、関西テレビ、朝日新聞、NHKから次々に電話やEメールが入った。37年間障害者と健常者の共生を訴えてきて終刊を決めた時に障害者の生を真っ向から否定する事件が起きた、そのことを編集部はどう受け止めるかというのがメディアの関心の中心だった。

 もし終刊を決める前に事件が起こっていたら、それでも終刊を決めたかどうか自問してみた。すぐに答えは出ない。相当に迷っただろうと思う。ただ、1つだけ確かなことがある。障害者差別の根っこにある優生思想は依然強力だ。出生前診断の拡がりや尊厳死法制化の動きなど、命の質を選別する流れは一層勢いを増しているとすら言える。しかし「私たち抜きに私たちのことを決めるな」と宣言した障害者たちは、今を時めく新自由主義者たちも決して無視できないほどその力を増している。してみれば「障害者自身の立ちあがりをよりどころとした本づくり」を編集指針とした『そよ風―』は、やはりその仕事を終えたのだ。この終刊が次の課題を照らし出す一助になればそれで十分だと思うのだが、さて、どうか。