鳥にしあらねば 89

 

『殺したんじゃねえもの 350』(2016年10月発行)より

 その出来事があってからしばらくの間は、何を語るにしてもそれを抜きにはできないような、そんな出来事がある。1・17も9・11も3・11もそうだった。そこに7・26が加わった。もちろん人によって、個々の出来事が与える衝撃の度合いは違うだろう。いつも障害者とその運動の傍らにいた私にとっては、相模原市の知的障害者収容施設(入所施設と呼ばれるが、自ら進んで入っているように聞こえるので私は使わない)で起こった7・26事件のことは3か月経った今もしばしば脳裏をよぎる。

 犯行現場近くの防犯カメラが、急停車する車を捉えたのが7月26日午前1時37分。車から降りて画面から消えた男は2分後に車に引き返し、再び施設に向かって歩き出す。その男が次にカメラに捉えられたのが午前2時50分過ぎ。犯行時間はほぼ1時間。その短い時間に男は窓を割って施設に侵入し、職員たちの抵抗を抑え、2つの居住施設を移動し、居室に押し入って19人の障害者を刺殺し27人にケガを負わせた。男は素早く正確に行動したはずだ。少しでも躊躇したり動揺したりすれば、そのような犯行は不可能だったろう。ロボットでもない生身の人間になぜそんなことができたのか?

 事件後さまざまな分析や見解や声明が出された。情報が十分に開示されず事件の全容が見えない中で、多くの人たちが懸命に7・26の意味を探ろうとした。150人もの障害者を1か所に集めた施設、被害者の匿名報道、福祉施設の労働環境、新自由主義下の格差社会の問題などが語られ、それらの背後に潜む優生思想が語られた。それらはみな、今必要な議論だと思う。7・26事件には、私にある程度理解できることと、どうしても理解できないことが混在するのではあるが、だからと言って中途半端に解った気になったり、「異常な犯罪」として理解の外に追いやることはやってはいけないと自分に言い聞かせている。

 あえて図式的に言えば、まず第1段階として人の心の中の思いがある。次にそれを言葉として表に出す第2段階がある。そしてそれを行動に移すのが最終の第3段階だ。7・26事件が私の理解をはばむのは、この第3段階だ。なぜ容疑者は第3に至る大きな壁(であるはずのもの)を飛び越えることができたのか。それが前述の疑問であり、今の私には解くことができない。現在精神鑑定中の容疑者は恐らく起訴されるだろうから、裁判の進行を待つしかない。

 それはそれとして、7・26事件の大地を掘り進めばやはり他の人たちと同じように、私も優生思想という地下水脈にぶつかる。先の第1と第2の段階だ。脳性マヒ者の団体である青い芝の会の名が全国に知れ渡ったのは、よく知られているように1970年に横浜で起きた母親による障害児殺しだった。母親の減刑嘆願運動の拡がりに危機感を抱いた脳性マヒ者たちは、殺される側から告発を開始した。彼らは厳正な裁判を求める意見書を携えて、横浜地検、所轄警察、神奈川県民生部、県議会などを回った。皆が皆、福祉施策の貧困や収容施設の不足を言い、母親への同情を口にした。しかし誰一人、殺された女の子に同情する者はいなかった。青い芝の会の横塚晃一さんは、そこに「差別意識というなまやさしいものでは片づけられない何かがある」と語っている。

 優生思想は、生き物としての人間の本能の類縁ではないかと思うことがある。それが人びとの障害への忌避や恐怖をあおるのではないか、と。しかし一方で私たちの祖先は群れをなすことでしか生き延びられない、か弱い生き物だった。だから互いを思いやり助け合い、文化を生み社会を形成した。つまり共生の思想もまた“はだかの猿”の本能のごく近傍にあるに違いない。そこに希望を見出したいのだが、どうか。