■ 鳥にしあらねば 90
『殺したんじゃねえもの 351』(2016年11月発行)より |
前回、7月に相模原市で起きた障害者大量殺害事件について書いて、優生思想と共生思想はともに生き物としての人間の本能のごく近傍にあるのではないかと問うた。今回はその問いを引きずったまま、優生学の話から始めたい。 優生学の父としてよく知られているのが、英国のフランシス・ゴルトンだ。ダーウィンの従兄弟でもある彼の主張を一言で言えば、人間社会は弱者”を保護することによって生物本来の自然選択の道をはずれてしまった、それを元に戻すために優生学が必要だというものだ。彼は1904年にロンドン大学で行った講演「優生学―その定義、展望、目的」でこんなことを述べている。 「全体としての人格が良いか悪いかについての解決のしようもない議論へとわれわれ自身が巻き込まれないために、可能な限り道徳を切り離して論じなければならない。…何が絶対的な道徳かについては同意が得られない。しかし、優生学の本質は容易に定義できるであろう。病んでいるよりも健康的な方が良く、弱々しいよりも活発な方が良く、そして人生では自分の役割において適さないよりは適した方が良い、ということはすべての動物が賛同する点である」。 優生学は、特定の道徳観念に基づいて提唱されるのではなく、動物すべて(・・・・・)が認める資質に基礎を置く。だから議論の余地はまったくない! 揺るぎない信念の吐露である。
そうして英国で生まれた優生学のその後の歩みを足早に追ってみよう。ゴルトン講演3年後の1907年、米国インディアナ州議会が「断種法」制定(以後16年間に32州で制定)。29年デンマークで「断種法」が成立し、性犯罪の恐れのある者、精神障害者の不妊手術を合法化。33年ドイツでナチス政権が誕生し「断種法」制定。34年スウェーデンで「断種法」ができ、精神障害者、知的障害者の不妊手術合法化(30年代にノルウェー、フィンランド、スイス、エストニアでも同様の法律ができた)。そして1939年、ナチスによる障害者安楽死計画「T4作戦」開始…。 障害者問題が、女性や被差別部落民や在日朝鮮人などの問題と異なる点はいくつもある。もっとも大きな違いは、そこに優生思想が貼りついていることだ。それはゴルトンの信念に見られるようにとてもやっかいな代物だが、それを素通りすれば障害者差別の本質が見えなくなる。だから障害者差別を語る人たちは皆、この思想に敏感だ。それでも時に足をすくわれそうになる。相当に意識的な人ですらそうなのだ。
障害のある当事者がある雑誌に、「もしU容疑者が、重度の障害者が地域で生き生きと創造的に楽しく暮らしているのを知っていたら、相模原事件は起きなかったのではないか」と書いていた。確かに私もそんな障害者とたくさん出会ってきた。だからUの独善的で貧弱な障害者観が腹立たしい。だが、では仮に「生き生きと創造的に楽しく」生きているのではない人、仮に周りに迷惑”をかけるだけの人がいたとして、その人は私たちの社会のメンバーたる資格を問題にされるのか否(いな)か。優生のワナにはまらないためにも、ここはじっくり考える必要があると思うのだが、どうか。 |