鳥にしあらねば 92

 

『殺したんじゃねえもの 353』(2017年1月発行)より

  そこまでいったのか、とため息をついた方も多いのではないか。貧困問題に取り組む英国の非政府組織オックスファムは1月16日、世界で最も裕福な8人の資産額(約48兆7000億円)と世界人口のうち貧しい半分の36億人の資産額とが同じだとする報告書を発表した。裕福な8人が1日で得る資産のために、貧しい36億の人々は123万年も働かねばならないという計算になる。オックスファムは1年前にも同様の報告書を発表していて、その時は最も裕福な62人の資産と貧しい36億人の資産が等しく、その62人という数字が5年前には388人だったと述べている。この7年ほどだけを見ても、貧富の格差が急激に進んでいることが分かる。

 ところで最も裕福な8人には、米マイクロソフトのビル・ゲイツ、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ、アマゾン・ドットコムのジェフ・ベゾスが入っている。いずれも名だたるグローバルIT企業の創業者だ。他に投資家のウォーレン・バフェットの名もあり、グローバリゼーションによって国境の壁を超えた巨大資本が世界の富をかき集めている実態の一端がうかがえる。

 ここで注意しなければならないのは、この格差の拡大がかつてのような南北問題(南の貧しい資源国と北の富める産業国)の構図と必ずしも重ならないということだ。その構図はまだ維持されているとしても、それとは異なる新たな格差が世界で拡大している。国民国家より強くなった資本が、国の外だけでなく内にも搾取の対象を拡げるという現象だ。他国を搾取するのではなく、非正規雇用などによって中間層を崩壊させ、大量の貧困層を国内に生みだしている。先に紹介した1年前のオックスファム報告にも、「悪化する不平等の背景にある主要な傾向の一つとして、ほぼ全ての先進国と大半の発展途上国で、労働者に分配される国民所得が減少していることが挙げられる」とある。かつてカール・マルクスが指摘した資本家と労働者の対立関係が、再び亡霊のように立ち現れたかのようだ。

 もちろん、日本も例外ではない。水野和夫著の『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社)には次のような記述がある。「一八六五年から一九九八年までの一三〇年間…名目GDP(国内総生産)の増加率と同じだけ雇用者報酬も増えていた」、「ところが、一九九九年以降、この関係は崩壊し…企業の利益と雇用者報酬とが分離し、二〇〇六年に至っては、企業の利益はあがっているのに、雇用者報酬が減少するという現象が起きてしまった」。同書によれば日本の実質賃金も97年をピークに下降し、その結果87年に3・3%だった金融資産ゼロ世帯が、2013年には31%にも達している。

 藤田孝典著の『下流老人』(朝日新聞出版)がベストセラーになり、親から子への貧困の連鎖が社会問題となっている。OECD(経済協力開発機構)が2015年に公表した「加盟34カ国の子どもの貧困率(世帯収入から国民一人ひとりの所得を試算して順番に並べ、その真ん中の所得の半分未満の人の割合)」によれば、日本はEU諸国や韓国より下の25位で、財政破たんしたギリシャに近い。一人親家庭に絞ればOECD中最下位だ。

 この原稿を書いていた1月17日、神奈川県小田原市で生活保護受給者の自立支援を担当する市職員が、英語で「不正受給者はくず」などとプリントしたジャンパーを着て受給者宅を訪問していたというニュースが流れた。日本の生保受給者数は200万人を超える。中にはごく少数の不正受給者もいるだろう。しかし主要な問題は別のところにある。そこに背を向ければ、現場職員は必然的に反対方向へ突っ走ることになる。高速道路の逆送よりはるかに危険だと思うのだが、どうか。