鳥にしあらねば 93

 

『殺したんじゃねえもの 354』(2017年2月発行)より

  一連の出来事は「事件」と呼ぶにふさわしいのかも知れない。大方の予想に反してドナルド・トランプ氏がヒラリー・クリントン氏に勝利し、第45代米国大統領に就任した。「大統領になれば過激な発言は影をひそめて穏当な政策に転換するだろう」「大口をたたいても実際にできることは限られている」などといった予測をあざ笑うかのように大統領令や大統領覚書を頻発して国内外を振り回している。就任初日にTPP(環太平洋経済連携協定)からの離脱を表明したのに続き、メキシコ国境の壁の建設、温暖化を加速するとして止められていた原油パイプラインの敷設、オバマケア(医療保険制度改革)の見直し、難民受け入れの凍結など、前政権の政策を矢継ぎ早に転換させている。

 中でも世界に混乱を引き起こしたのが、イスラム圏7か国からの入国を禁止した大統領令だ。ワシントン州の連邦地裁によって大統領令の効力の即時停止を命じる仮処分の決定が出され、2月9日、控訴裁判所もその決定を支持した。政権側は連邦最高裁に上訴せず、新たな入国規制の大統領令を検討しているという。これまで米国内でテロを起こしたとされるのはサウジアラビアやエジプトなどの出身者、そして米国人であり、今回入国を禁止された7か国(イランやイラク、スーダンなど)の出身者ではない。仮に7か国の出身者だったとしても、一律に入国を禁止するというのはあまりに無謀と言うべきだろう。しかし今のところ新政権の排外的な姿勢にはまったく変化が見られない。

  当初は泡沫扱いされていたトランプ氏は、移民や女性やイスラム教徒への暴言を繰り返したにもかかわらず、他のエリート候補を破って共和党の大統領候補に選ばれた。そして本選でも元ファーストレディで政治経験豊かな候補に勝利した。なぜそんなことが起こったのか。世界の驚きの大きさを表すように多くの論評が飛び交った。冒頭で「大方の予想に反して」と書いたが、その予想を世界にばらまいたマスメディア自身が米国のエスタブリッシュメント(既得権益層)の一角を形成していて、多くの人びとの不満や困窮に対する感度を鈍らせていたという指摘もあった。つまりメディアは自分たちの“願望”を報道したということだ。多くの人が語るように、ラストベルト(錆びた工業地帯)に象徴される米国社会の疲弊が既得権益の象徴であるクリントン氏を拒否したのだと私も思う。ただし、その消去法の結果としてのトランプ大統領の誕生が正しかったかどうかはまた別の問題だ。彼の攻撃の矛先は今、ラストベルトを生み出したウォール街ではなくイスラム諸国や移民に向かっている。そして彼自身もまた“Occupy Wall Street(ウォール街を占拠せよ)”と叫んだ99%ではなく、残りの1%に属している。対立と騒乱の後に大きな落胆が人びとを襲い、それが米国にも世界にも一層の混乱をもたらすのではないか。それが心配だ。もしそうなった場合、責任はもちろん民主党にもある。今さら言っても仕方ないが、彼らにはバーニー・サンダース氏を候補として押し出す以外の選択肢はなかったはずなのだ。

 さて、英国の首相には後れをとったものの、その新大統領のもとに世界で2番目に馳せ参じたのが安倍晋三首相である。2月10日から2泊3日の訪米で、2人は5度の食事を共にし丸1日27ホールのゴルフに興じた。そして共同記者会見で安倍首相は、尖閣諸島が米国の対日防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条の対象であることを確認したと誇らしげに語った。それが大統領のリップサービス以上のものかどうかは別として(私には米国が中国と一戦を交えるつもりがあるなどとは到底思えないが)、安倍首相は口を開けば「戦後レジームからの脱却を!」と言ってきたのではないか。そして日米安保体制はまさにその戦後レジームの根幹をなしているのではないかと思うのだが、どうか。