鳥にしあらねば 98

 

『殺したんじゃねえもの 359』(2017年7月発行)より

 「彼が法相の間にやっておけ」ということだったのか? 安倍内閣の支持率が急落し、東京都議選で自民党が惨敗をきっして内閣改造が必然となった。となると、真っ先に首を切られるのは憲法違反をものともしない稲田朋美防衛相と共謀罪の国会審議で醜態をさらした金田勝年法相だというのは衆目の一致するところだろう。法務官僚には、国会答弁でしどろもどろの法相を何度も助けたという貸しがある。これまでの執行基準を踏み外しても、彼なら死刑執行命令書にサインするだろうという読みがあったに違いない。

 7月13日、1991年に女性4人が殺害された事件の犯人として05年に死刑が確定した西川正勝死刑囚(61)が大阪拘置所で、11年に元同僚の女性を殺害したとして裁判員裁判で死刑判決を受け13年に死刑が確定した住田紘一死刑囚(34)が広島拘置所で死刑を執行された。西川さんは自力で再審請求や恩赦の出願を繰り返していたし、住田さんの場合は自ら控訴を取り下げて確定したのだが被害者は1名だった。そういう意味で2人とも、従来の死刑執行や死刑判決の基準から外(はず)れていたと言っていい。

 金田法相は同日の記者会見で、「再審請求を行っているから執行しないという考えはとっていない」、「仮に再審請求の手続き中には執行命令を出さない取り扱いをしたら、再審請求を繰り返す限り永久に執行できない」などと述べた。法務省のある幹部は「罪を受け入れた死刑囚が執行され、受け入れない死刑囚が執行を免れるのは不公平だ」と指摘しているという(朝日新聞7月14日朝刊)。

 刑事訴訟法475条は、判決確定後6か月以内に死刑を執行しなければならないと規定するが、その2項で再審請求や恩赦の出願があった場合は、手続きが終了するまでの期間は6か月に算入しないとも述べている。再審請求中の執行を禁じているわけではないが、死刑という刑罰の重大性を考慮してこれまでは請求中の執行には慎重だった。近時では99年に再審請求中の小野照男さん(62)の執行があったが、この時は法務省が再審請求中であることを知らなかったのではないかという指摘もある(監獄人権センター・海渡雄一弁護士の7月13日記者会見)。であるなら今回法務省は、再審請求中は執行しないという「不公平」な慣例を葬るために敢えて執行に踏み切り、国民の反応を見定めようとしたとも考えられる。これは憲法の改悪を目論む安倍政権が好んで用いる政治手法でもある。

 被害者1人で死刑が確定した住田さんのようなースも、悪質な前科があったり身代金目的の誘拐だったりした場合を除けば極めてまれだ。死刑適用の基準としてよく知られる83年の永山基準には「殺害方法の残虐性」や「社会的影響」といった抽象的な項目が並ぶが、その中の「殺害された被害者の数」や「犯人の年齢」には主観を差し挟む余地はない。その後厳罰化の流れを受けて、原則死刑回避(=例外的に死刑適用)の姿勢は原則死刑適用(=例外的に死刑回避)に逆転したと言われるが、被害者の数については長く裁判官の量刑判断を拘束してきたように思う。

 それがこのところ怪しくなってきた。04年の奈良、14年の神戸の2つの女児殺害事件では、被害者1名で一審死刑判決が出た。神戸の事件は裁判員裁判だったが、控訴審で無期懲役に減軽され確定した。厳罰化の流れに対する裁判官の抵抗と見るべきだろう。そして今回の住田さんの死刑執行は、そのような抵抗への法務省の反撃のように思える。いずれにしても、人の生命を奪う重大な刑罰にもかかわらずその執行基準すら私たちに明らかにされない現実を甘受してはいけないと思うのだが、どうか。