リンパ浮腫とわかるまで



退院した私が向かったのは、自分の家でなく実家だった。
自分の身の回りの事も出来ないのに、夫の世話などとても出来る状態ではなかった。
両足付け根の引きつれたような痛み、お腹のさすような痛み、どれも耐えがたかった。
そんな状態での排尿、排便、のぼせ、めまい、どれもストレスになった。
退院の際、主治医から注意を受けた事は・・・
寝る前に水分を取ってはいけない。
足が腫れる事があるので、正座はいけない。
階段に注意。
自転車で急な坂を登らない。
足に負担をかける事は避ける、という事であった。
この時点で私の足は腫れてはいなかった。

最初に腫れに気が付いたのは、同居している甥っ子が床を汚したのでぞうきんがけをした後だった。
足のだるさに、ふと太ももを見ると左足太ももが右足より太くなっていた。
退院後、1週間は経ってなかったように覚えている。
すぐに、病院に電話を入れたが挙上するよう言われただけだった。

とにかく、のぼせが一番つらく、はじめての通院日それを訴えるとホルモン剤を処方される。(プレマリン)
これで、症状が治まると喜んでいたが、ほとんど効き目はなかった。
これ以上量を増やすと乳がんの危険性が高くなるとの事、慣れるしかなかった。

この頃、私は全面的に母に頼っていた。
夫の世話も母がしてくれた。
約10ヶ月実家にいた事になる。
夫にも両親にも本当に感謝している。
何故10ヶ月なったか・・、生きる目的を失いかけていた私に夫がマンションを買ってくれた。
私になにか新しいものを与えようとしたようだ。
どうせなら、新しい家に引っ越せばいいと夫が考えてくれた。
しかし、母への負担はかなりのものだったようだ。
私の手術からちょうど1年後、母は胆嚢がんの疑いで手術する事になってしまった。
結果的にがんではなく、総胆管膿腫というものだったが、申し訳ない事をしてしまった。


新しいマンションに引越した。
そして、犬も私に与えてくれた。
具合が悪いなどと言ってられなくなった。

しかし、めまいに悩まされた。
更年期障害の症状かとも思ったが、どうやらメニエ−ル病だったようだ。
道で何度がひっくり返った。

足は朝はなんでもないが、夜になるとだるく重くなった。
浮腫みは少しずつ下におりていった。

これ以降の足の状態は以前のペ−ジをそのまま貼り付けます。
1988.6頃 浮腫みがだんだん下へくる 徐々に浮腫みが下へ広がってくる。
この頃、主治医より医療用のパンティストッキングを紹介される。
最近わかったが、これはかなり圧迫力が弱かったようだ。
しかも、始終履いていなかった。
〜1995頃 足首まで浮腫んでくる 相変わらず浮腫んではいるが、一晩寝るとだるさはなくなった。
寝不足が一番こたえた。
歩行には支障なく、手術以来初めてスキ−ができた。
しかし、冷えるとなんでもない右足に神経痛のような痛みがきた。
1996.6 足の甲まで浮腫んでくる この頃、夫の母の看護でかなり足に負担をかける。
膝が痛くなる事が多くなる。
もっと足を大事にしてればと悔やまれる。
1997.6 足がひどく痛む 仙台への引越しの準備中、痛みで歩けなくなる。
重いものを持ち上げたりで負担がかかったようだ。
近くの整骨院でマッサ−ジを受けるが直後回復するだけでまた痛む。
1998.6 ひどく腫れてきた すごく足に負担をかけた覚えもないのに、日に日に固く足指まで腫れてきた。
ふくらはぎは丸太ん棒のようにパンパンになり、左足全体が赤く熱を持つようになり、なんだかかゆくなった。
寝ていても腫れは治まらず、どうしてよいのかわからなかった。
1998.6 新聞の記事で「リンパ浮腫」を知る 足の状態が最悪になった頃、自分が「リンパ浮腫」という病気なのを知った。
新聞の記事から専門医の存在を知った。
私は結構ついてる。
術後11年経って、蜂窩織炎(ほうかしきえん)を起こしたようだった。
みるみる太く、固くなってきたのには驚いた。
毛深くなってきたのにもビックリした。
この時、近くの病院に行こうと思ったが、犬を置いて入院させられるのが恐かった。
犬を連れて東京まで新幹線に乗るのは地獄のようだった。

花ライン

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