2001年春,突然,激しい腰痛と激しい腹痛に襲われ,救急車で病院へ運ばれ,そのまま入院。 病院で闘病生活を送ることとなった。 そこで,今後の自分のため,健康管理の大切さをいろんな方々へ伝えるため, この闘病生活を記録に残すこととした。 |
2001年4月4日(水) - 闘病1日目
午後7時半ころ,会社で英語講座を受講している時だった。急に,腰と腹が痛み始めた。はじめは,疲労で腰が痛くなって,風邪の兆候が腹に来たと思っていた。 しかし,異変は帰りの電車の中で起きた。これが激痛の数時間の始まりだった。 脂汗が出てきた。痛みも増してきた。萱島駅から寮までの帰り道も時折,立ち止まった。 寮に着いても異変が続く。便も出なけりゃ,嘔吐もない。ベッドに仰向けに寝ても,うつ伏せに寝ても,痛みが和らがない。「何かが違う!」痛みに耐えられず,寮の事務所へ駆け込んで,救急車を呼んでもらった。午後10時過ぎのことだった。 救急車の到着を待つ間,ソファーに横になっていたが,両腕,両脚,口元としびれ,ついには全身がしびれてきた。呼吸するのも苦しく,話をするのも辛くなってきた。 救急車が到着し,両脇を救急隊員に抱えてもらいながら,歩いて,救急車に乗った。しびれは少しひいて,小康状態となった。 私を乗せた救急車は寝屋川市内の上山病院に到着し,検査と応急処置が始まった。激痛に苦しむ中,尿検査とレントゲン検査を受け,痛み止め注射を打たれた。尿検査の結果,潜血が認められた。レントゲン検査の結果,尿管に異物のあることがわかった。尿管結石の疑いがあるらしいとのこと。昨年秋の会社の健康診断で尿管結石になる恐れがあることは指摘されていたので,驚きはしなかった。しかし,思ったことがある。「特に異常なし」と診断した2001年3月22日(木)の会社の健診がいかにあてにならないかということを。 痛み,しびれは若干和らいだが,入院することとなった。日付はもう5日(金)になり,時計は深夜1時を回っていた。 病室のベッドに横になったが,痛みのため,しばらくは寝つけなかった。しかし,痛み止めの薬と座薬が効いてきたのか,なんとか眠ることができた。こうして,激痛の数時間からやっと解放された。
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2001年4月5日(木) - 闘病2日目
朝6時過ぎに目を覚ました。夜中に打たれた点滴も終わっていた。激痛からも解放され,普段と変わらない朝を迎えた。 朝7時過ぎ,実家,職場の関係者に入院したことを電話で伝えた。一様に驚いていた。高校同期の友人・Y子さん,同期入社の友人・K川くん達にもメールで入院の一報を入れた。Y子さんからは,驚きのメールがすぐに返って来た。Y子さんは励ましのメールをたびたびいただいた。自分の励みになり,闘病の孤独感を和らげてくれた。 朝食の時間になったが,昼過ぎにお腹のCTを撮るということで,絶食となった。前日の夕食と朝食にありつけてないわけだが,特に空腹感はなかった。 朝9時過ぎ,職場の上司が見舞いに来てくれた。昨日の激痛の状況,入院が約1週間に及ぶこと等をお伝えした。 救急車で運ばれた時,セカンドバッグとコートだけを持ってきたので,着替えはなかった。そこで,一時帰宅の許可をもらい,約1週間分の下着を準備し,病院へ戻った。救急車で運ばれた時は歩くのも容易ではなかったが,今度は元気にタクシーで往復できた。 検査と治療が本格的に始まった。腹のCTを撮られた。その結果,腎臓や尿管に異物らしきものが4〜5個見つかったそうだ。カルシウム質というか石灰質というか,そういう異物が見つかったそうだ。自然に尿と一緒に排出されるのをまずは待つため,超音波で砕くかどうかは病状を見て判断するとのこと。 トイレに行くたびに,尿を容器に集めることになった。この日,直径2ミリほどの白いカルシウム質のものが尿に混じっていた。これが今回の激痛の原因だったかもしれない。 食後に薬を飲むことも,昼食から始まった。便通,排ガスを促進することが目的とのこと。 食前の点滴も始まった。約1時間の点滴だが,体に針が1時間ほど刺さっていると思うと,どうも心中穏やかではない。でも治療のためだから,仕方がない。 ご飯の味はまずまず。むしろ,普段の寮のご飯より,油控え目のため,ヘルシーかもしれない。あと,普段,美味しい物を食べていないせいもあり,抵抗なく食べれている。入院していることもあり,食事タイムは規則正しい。朝7時半,昼正午,夕方6時。日ごろからこうありたいものである。 一時帰宅で,本,Kansai Walker,Hokkaido Walkerも持ち込み,それを見てたので,とりあえず,退屈はしなかった。 夜7時過ぎ,職場の別の上司が見舞いに来てくれた。しばらく談笑し,とてもいい時を過ごすことができた。 入院の恩恵か,大好きなナイター中継を放送開始から見ることができた。ただ,試合途中で消灯となったこと,ジャイアンツがスワローズに敗れたことががっかりである。 |
2001年4月6日(金) - 闘病3日目
痛みがまったくない1日だった。入院してはいるが,元気な患者といえるかも知れない。 同期入社の仲間,遊び仲間の先輩に入院したことをメールで伝えた。何名の方からか返信メールをいただいたが,またも一様に驚いていた。持つべきものは友であること,一人身は辛いことをつくづく感じた。彼女ができて,結婚することが必要だと,入院してつくづく感じた。 今日は胸のレントゲンを撮られた。昨日につづいて,検尿,食前の点滴,食後の薬もあった。右腕の点滴の跡もだんだん目立ってきた。右腕だけ見ると,完全に病人状態。 午後,ベッドの移動があった。窓際へ移った。暗い場所から明るい場所へ移り,気も少し楽になった。 見舞いに来る人はいなかった。ちょっと淋しかった。 ナイター中継を見ていた。ただ,カープ×ジャイアンツ戦ではなかった。タイガース×ベイスターズ戦だった。がっかりだった。 |
2001年4月7日(土) - 闘病4日目
今日も痛みはなかった。検尿,点滴,薬は今日もつづく。9日(月)にヨード造影剤を投与するため,飲む薬が一つプラスされた。 昼食後,部屋を移った。今までは脳外科病室だったが,今度は内科病室となった。また窓際だった。生駒山系がきれいに見えた。外は花見日和でみんな楽しい週末を送っているかと思うと,「病室で過ごす自分はいったい・・・」と思ってしまう。 昼下がりの午後3時ころ,職場の先輩のO田さんが見舞いに来てくれた。ブラジル旅行記をいただいた。後で読ませてもらったが,読者を感動させる名作であった。 また,同期入社のK川くんと彼女のK子さん,S川夫妻,M多くんも見舞いに来てくれた。これまた嬉しかった。病室で孤独な毎日を送っているので,本当にありがたかった。またもや友のありがたさを実感した。見舞いに来てくれて,ありがとう! 夜はナイター中継を見て,過ごした。カープ×ジャイアンツ戦を中継していた。ジャイアンツが接戦を逆転勝利した。嬉しかった。 |
2001年4月8日(日) - 闘病5日目
朝6時ころ,目を覚ました。熟睡しているはずだが,ちょっとだるい。腹が少し張っている。多分,便とガスがたまっているせいだろうか。朝,とりあえず便とガスは出たが,なんかまだ張っている・・・ 検尿,点滴,薬は今日もつづく。 外は今日も天気が良い。ただ風が強い。窓を開けたいところだが,ほかの患者さんもいるので,開けられず。ガッカリ。 今日は誰も見舞いに来ないから,退屈。Y子さんからのメールが唯一,安らぎを与えてくれる。 明日のヨード造影剤投与を控え,「4月9日昼絶食」のプレートが掲げられる。あ〜,悲しい。 夜9時,明日の検査に備えて,250ミリリットルの下剤ドリンクをがぶ飲みする。甘く酸っぱい味だった。レモンジュースの感覚でグイッと飲んだ。 |
2001年4月9日(月) - 闘病6日目
寝ぼけ眼の状態での採血から始まった。目を覚ました後,どうも下痢気味である。昨日の寝る前の下剤が効いてきたらしい。便通はあるものの少し腹が張っている。腹の張りは慢性的なものなのかなぁ〜 午前中は検尿と点滴があった。点滴の1時間はただ横になっているしかないので,眠るかテレビを見るしかない。今日はサンテレビで「特捜最前線」(昭和52年制作)を再放送していたので見た。 正午,昼食の時刻になった。しかし,今日は午後の検査のため,悲しいことに絶食! 悲しさを紛らすため,「笑っていいとも!」を見て過ごした。フジの月9ドラマ「ラブレボリューション」が今夜スタートということで,江角マキコ,米倉涼子ら,期待の出演者たちが出てた。 昼1時過ぎ,ヨード造影剤を投与するため,検査室へ向かった。検査台に載って,造影剤の投与が始まった。ここで異変が起きた! 投与直後,むかつき,吐き気がした。ごく一部の人はヨード造影剤が体に合わないということを事前に聞いていたが,これに自分が該当してしまったのだ! 投与直前まで看護婦さんと気さくに話していたが,急に具合が悪くなり,嘔吐した。すぐに楽になったが,以後の造影剤投与は中止となった。詳しい診察は泌尿器科のある別の病院で行なってもらうことになった。 ベッドに横になったまま,病室に戻り,2時間の点滴となった。 この後,具合が悪くなることもなく,通常どおり,食事を取ることもできた。 夜7時ころ,職場の後輩・W辺くんが見舞いにくれた。2日ぶりの見舞い客来訪で嬉しく,話は盛り上がった。 |
2001年4月10日(火) - 闘病7日目
朝10時,先日撮った腹部CTを持って,小松病院の泌尿器科へ行って,詳しく診てもらった。再び,腹部のレントゲンを撮ってもらったところ,左の腎臓に石が4個認められた。前回,腹部CTを撮ってもらった時も4個あった。ということは,今回の痛みの原因となった石は体外に排出されたが,まだ4個潜んでいることになる。2個は小豆くらいの大きさ,残り2個はつまようじの頭くらいの大きさだった。 残り4個の石については,今すぐに除去することはせず,経過を見守ることになった。腎臓に腫れがないこともあった。1ヶ月に1度,通院で腎臓,尿管の状態を診察することとなった。これで近日退院の可能性が高くなった。 午後,退院の日が11日(水)と決まった。早速,実家,職場,友人に一報を入れた。 やっと帰れる〜 でも仕事が・・・ |
2001年4月11日(水) - 退院
ついに退院の日を迎えた。やっと帰れる〜! テレビで「はなまるマーケット」を見た後,午前10時,退院となった。同じ病室の患者さんたち,看護婦さんたちにお別れを言った後,病院をあとにした。 今回の尿管結石の石は結局出たが,まだ大小合わせて4個,腎臓に残っているだけにまだちょいと怖いなぁ〜 今度は痛くなければよいが・・・ 皆さん,健康管理を心がけましょう! また,決して仕事は無理せず,ほどほどに。そして,遊びではじけましょう! P.S. 入院の1週間,かわいい看護婦さんにも会えて良かったな。(^^) |