キム・ヘギョンさんをハラボジ(祖父)、ハルモニ(祖母)に
会わせるために、父親が連れて来るのが良い

 2002年は、日朝交渉が始まり、北朝鮮が拉致を認めて一部の帰国が実現して、南北対話 の中断にも拘わらず、サッカー日韓W杯共催と相俟って、朝鮮半島の緊張緩和を期待 したところだが。北朝鮮が拉致被害者家族の来日を拒否して、核開発、重油提供と 絡んで、迷路に入り込み緊張が高まっている。
 少なくとも東アジアでは、再びの朝鮮戦争によって、人を虫けらの様に殺す事態は許さない、今の固定がベストでは有り得ないが戦争よりはベターだ、少なくとも日中韓の人々にはそう考えること が可能ではないか。
 人間は愚かだなと思いつつ、理性が力を発揮して何らかの解決をする以外にないと考 える。

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(メールマガジン2003年1月から)
▲ 私の中のふたつの見方「週刊金曜日《の拉致被害者家族報道について (2002.12.30)
▲ キム・ヘギョンさんをハラボジ(祖父)、ハルモニ(祖母)に会わせるため に、父親が連れて来るのが良い(2002.10.27)

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■ この国のかたち :私の中のふたつの見方「週刊金曜日《の拉致被害者家族報道 について

1 家族帰国の駆け引き
 日朝首脳会談で北朝鮮が拉致を認めるとともに、一部の拉致被害者の生存が明らかにされて、一時帰国からそのまま日本に留まった。他方、残っている家族(子供)の帰国(来日)をめぐり駆け引きがあり、子供のインタビューが報道されて、また「戻って来て《と言う様子の報道が、北朝鮮の宣伝に利用されているとも言われ、議論になった。幸い子供は帰国(来日)したが、孫の帰国(来日)と未解決の拉致被害者が残って、見通しは立っていない。
(1)しばらく前に、Yさんの子供のインタビューが報道されて、その子の様子が分 かった半面、中学生を画面に晒して答えようの無い質問を繰り返す様子に批判が出た。 また「戻って来て《と言う様子の報道が、北朝鮮の宣伝に利用されているとも言われ た。
(2)その後、標記の「週刊金曜日《の拉致被害者Sさんの家族報道(2002.11.15) があった。前回の批判点をかわすために、「未成年でなく成人《である夫と子供をイ ンタビューした。やはり「戻って来て《と言う内容の報道が、北朝鮮の宣伝に利用さ れていると批判された。
(3)「週刊金曜日《の編集委員に吊を連ねるT氏は批判を3点にまとめている。
[1] 北朝鮮の宣伝に手を貸した。[2] 政府の方針に水をさした。
[3] Sさんを苦しめた。
 それぞれについて、[1] 当局の承認、宣伝の意図が誰にでも分かれば、宣伝の効果は 無い。統制があっても、「人間の肉声と表情《からは意図を超えた情報が出る。家族 が無事であることが分かった。[2] 政府の気に入らぬ報道を自主規制するのは自殺行 為、北朝鮮と変わらない国になる。被害者本人を報道して、もう一方の北朝鮮に残っ ている家族を報道するのは基本。[3]「報道と人権のせめぎ合い《でジレンマである。 と見解を述べている。

2 批判的な見方
(1)ある朝、この「週刊金曜日《の記事を報じるテレビを見た。Sさんもひどいと 泣いていた。打撃であったのは事実だろう。本人に説明すべきだが、編集部は「町役 場に取材を断られた《と言うが、手紙なり何なりでも立場を説明すべきだろう。
(2)報道の表題が「早くお母さんに会いたい《、他の記事が「忘れられた子供の人 権/永住帰国と残された家族の気持ち/拉致被害者の意志尊重を《では。上記のT氏 の見解のとおり、「報道することがジャーナリズム《であるとしても、「中立的なジ ャーナリズムは有り得ず、自ずと視点が表れる《のではないかと私は考える。そこで 「この記事に表れている視点はやはりおかしい《のではないか、と考える。
(3)拉致というのは、「刑務所、収容所《に入れられているのと同じで、拉致被害 者にとっては北朝鮮という国全体が収容所である訳であり、そこに戻って「自由な意 志で帰国を決める《「家族と今後のことを相談する《というのは有り得ない。そこは 誘拐犯のアジトなのだから。
(4)「移動の自由《というのは基本的な人権だということを押さえないといけない。 出入国管理ということがあるにしても。「移動の自由《が無いことが予想される場所 に戻れというのは、人権の侵害に目をつぶろうということだ。日本では「拉致疑惑《 はあったとしても、それを事実と充分に認識しないまま20数年を費やした。その反 省に立った対応が必要だ。

3 報道すべきだという見方
(1)編集委員T氏の、[1] 当局の承認、宣伝の意図が誰にでも分かれば、宣伝の効 果は無い。統制があっても、「人間の肉声と表情《からは意図を超えた情報が出る。 家族が無事であることが分かった。[2] 政府の気に入らぬ報道を自主規制するのは自 殺行為、北朝鮮と変わらない国になる。被害者本人を報道して、もう一方の北朝鮮に 残っている家族を報道するのは基本。[3] 「報道と人権のせめぎ合い《でジレンマで ある。という見解は、それ自体はそのとおりだ。
(だが、実際の記事に対する批判は上記2(1)〜(4)のとおり)
(2)ベトナム戦争では、多くの記者が入り現場を伝えた。それらを基に国民、市民 が判断した。米国政府はその教訓から、イラク攻撃では、報道統制を行った。「汚い 爆弾《を使うのはイラクだけでなく、実は米国自身だということは、最近になって一 部が報道されているだけだ。「9.11世界貿易センタービル旅客機突入《では、米国は 愛国心一色になり、なぜ米国が憎まれるのか、充分な検証が行われない。総じて、 「建国以来、米国は正義の戦争だけを戦って来た《と米国民はトンチンカンな理解を している。その自画像が、今後の世界に与える悪影響は大きい。
(3)やはり、「被害者本人を報道して、もう一方の北朝鮮に残っている家族を報道 るのは基本《であり、その中で「家族が無事であること《を伝えることも必要だ。最 近の、被害者Yさんの父親が孫に会いに行きたいと言ったことも、情報が少ないから 出て来た面があるだろう。情報が多くなれば、そこから自ずと見えて来るものもあり、 それが世論を動かし、国家や国際機関を動かすことになる。
(4)多くの情報を報道して、多事争論の中で、日本と朝鮮半島の歴史を振り返り、 今後の在り方を議論して、東アジアの協調的安全保障を展望する、ということが必要 だ。

4 各報道機関と、各政党は、ただ単に自分の手足を縛るのでなく、自分が妥当だと 考える報道、事実の発掘の仕方を模索して、判断材料を提供する必要がある。

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■ この国のかたち :キム・ヘギョンさんをハラボジ(祖父)、ハルモニ(祖母) に会わせるために、父親が連れて来るのが良い

1 日本の報道機関3社のインタビューがあった
(1)本人は日本に行けない理由をいくつか挙げていた。「父親は朝鮮の人/自分は子供だから/1度も会ったことがない/分からないが父親が賛成しないだろう/母親が北朝鮮に来た経過を今日まで知らなかった《。本人はもちろん海外渡航の経験が無いから、知らない外国にひとりでは行けないと言うのは、とりあえずもっともなことではある。だから「会いに来てほしい《と言う。
(2)一方、「救う会《の幹事は、「目上の横田さんに、父親が孫を連れて会いに来るのが朝鮮の文化ではないか《とも言っている。これはなるほどな、と思うところがある。日本でも、韓国を通して年配者を立てる伝統が強く残っていることが伝えられている。
(3)キム・ヘギョンさんの父親は、まだ結婚の挨拶をしていない。経過はともかく、結果として義理の父母になったのだから、遅ればせながら、結婚の挨拶をするのが良い。
(4)そして、ハラボジ、ハルモニに孫を会わせるために、父親が連れて来るのが良い。子供の記憶では定かでない、生活の様子を話すことが必要だ。
(5)幼稚園で一緒で、先日、空港で久し振りに会ったオ・ソンサム(地村)さん、リ・ヨンオク(浜本)さん、オ・ギョンホ君にも、日本で会える。上記(1)で、「会ったことがないから本当のおじいさん、おばあさんか、自分では確認できない《と言っていたことも、いくらか解決するのではないか。

2 東洋的なこと
上記1(2)の「目上の横田さんに、父親が孫を連れて会いに来るのが朝鮮の文化ではないか《を読んだときに、「東洋的だな《と思った。こういう理由のやり取り、交渉があってもいいのではないか。戦術核兵器や近代兵器を突き付けて譲歩を迫る、そういうアメリカン・スタンダードなのが、唯一の交渉の方法でもないだろう。北朝鮮もアメリカン・スタンダードな交渉を望んでいる訳ではないだろう。

3 ディズニ*ランドに加えて、川崎の在日との交流会もやろう
(1)横田さんが住む川崎には、在日の韓国・朝鮮人が多く住む。椊民地時代に、徴用で連れて来られたり、自ら出稼ぎに来たりした人々の二世、三世だ。町には、焼肉屋があり、カヤグン(朝鮮琴)やパンソリ(歌)を習う人も居て、韓国・朝鮮の文化がある。
(2)日本人と在日との協力関係もあり、在日の生活権で一緒に活動している例もある。
(3)神奈川県の民間外交交流も実績がある。川崎市も実績がある。
(4)キム・ヘギョンさんの父親は北朝鮮の人だから、在日朝鮮総連や在日韓国居留民団の川崎支部の人と、交流会を行うのも良い。
(5)日本と北朝鮮のどちらに住むかは、本人の人生だが、川崎という場所は地の利がある。本人も、例えば日本と朝鮮の架け橋など、人生の目標を見い出し得る可能性があるのではないか。

4 正常化とは
(1)拉致被害者の一部が帰国した。大小様々な歓迎会が行われている。地方だから、昔からの人も居るし、人の関係も濃い。もし都会だったら、そういう歓迎はなかなかできないと考えた人も多いだろう。食料上足があったり、情報、移動など制約があったりの北朝鮮だが、「結婚してからは、そんなに上幸ではなかったんですよ《と言う被害者の言葉は、偽りではないだろう。いくつかの理念的な条件を捨象すれば、彼らが「今の日本に住んで居た方が100%幸福だ《と言い切れるとは限らない。
(2)24年の歳月。ふたつの体制に身を置いて、家族を思う。全く異なる体制でも、家族の健康や日々の出来事に喜怒哀楽を感じる。そういう人が互いの場所、国に居ることを知ることが、正常化の重要な部分だ。
(3)もちろん、そのためには北朝鮮でも日本のことが報道や口コミでも伝えられる必要もある。
(4)椊民地時代に、日本に徴用で連れて来られたりした人々のこと。冷戦の中で、南北に家族が分かれていまだに会えない人。そういう人の気持ちを知ることも必要だ。

5 冷戦の後
(1) 拉致事件が起こった78年は、朴(パク)大統領の後期。ビルマで爆殺未遂事件があったときの大統領は全斗煥(チョンドゥファン)。いずれも軍部出身で、クーデターなどで政権に就いて独裁政権と言われていた。その次の盧泰愚(ノテウ)も軍部出身。当時、軍事政権と対立していた野党政治家だった金大中(キムテジュン)は、日本国内で拉致されて韓国に連れ帰られ、日本政府も真相を闇に葬ることに手を貸した。最近、映画「K.T《が作られた。つまり冷戦の中で、南北に似たような独裁的政権があった、必要とされていた。
(2) 韓国で文民政権はまだ2代目で(2003年当時)、拉致に会い、光州事件で全斗煥軍事政権から死刑判決を受けた金大中(キムテジュン)が大統領になったのは、隔世の感がある。
南側は軍事政権から民主化されたが、北側はそのまま残っていてアンバランスになっている。北側も変わる必要がある。

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