ショスタコーヴィチ「馬あぶ」組曲より 〜第52回定期演奏会でのアンコール曲〜

2004年11月20日


 2004年11月14日に行われた横浜フィル第52回定期演奏会で、下記の曲をアンコールとして演奏しました。

   ショスタコーヴィチ作曲/映画「馬あぶ」(Gadfly)の音楽からの組曲 作品97aから「民族の祝祭」(Folk Feast)

 このアンコール曲について、関連情報をまとめてみました。



1.映画「馬あぶ」の音楽
 映画「馬あぶ」は1955年に作られたもので、ソ連映画ではなくイタリア映画のようです。(「あぶ」は虫のあぶ=虻です)
 19世紀始め、オーストリアの領土となっていたイタリアを舞台に、「馬あぶ」のあだ名を持つ独立運動の闘士を主人公とした熱血感動物語のようですが、DVDやビデオが出回るほどメジャーなものではないようです。ということで、映画の実態はよく分かりませんので、興味のある方は自分で調べてみて下さい。

 ショスタコーヴィチは、この「馬あぶ」の映画音楽を作曲しましたが、その中から12曲を選んで組曲作品97aに編集したのは作曲者自身ではなく、レヴォン・アトヴミャーンという人です。このアトヴミャーンは、1950年頃にショスタコーヴィチの上演されなくなったバレエ音楽(「黄金時代」「ボルト」「楽しい小川」)などから「バレエ組曲」(第1番〜第4番あり)を編集・出版したことで有名です。

 「馬あぶ」組曲の全曲(12曲)の構成は次のとおりで、アンコールで演奏したのは3曲目です。

  (1)序曲
  (2)コントラダンス
  (3)民族の祝祭
  (4)挿話
  (5)ワルツ「手回しオルガン」
  (6)ギャロップ
  (7)導入曲
  (8)ロマンス
  (9)間奏曲
  (10)夜想曲
  (11)情景
  (12)フィナーレ

 組曲の全曲版CDには、シナイスキー指揮BBCフィルハーモニー管クチャル指揮ウクライナ国立響があるようです。なお、シャイー指揮フィラデルフィア管のCDは、アトヴミャーン編の組曲ではなく、オリジナルの映画音楽から直接13曲を抜粋したものとのことです。(シャイーには、 ショスタコーヴィチの管弦楽曲・協奏曲集のCDもあります)
 組曲の中では、独奏バイオリンが主役の8曲目「ロマンス」が有名なようで、単独で入っているCDもいくつかあります。

2.「ジャズ組曲」との関係
 「民族の祝祭」(Folk Feast)は、「馬あぶ」組曲の中の3曲目にあたりますが、実はこの曲、「ジャズ組曲第2番」(作品番号なし、8曲で構成)と呼ばれている曲の「ダンス第1番」と同じです(「ジャズ組曲」の方は小編成のダンスホール用のオーケストラ編成なので編曲が異なる)。「ジャズ組曲第2番」は1938年に作曲されたとされており、1955年の映画「馬あぶ」の音楽はそれを転用したものか、と思っていましたが、実は相互の関係は少々ややこしいようです。

 元祖「ジャズ組曲第2番」は、1934年の「ジャズ組曲第1番」(こちらは現存)に続き1938年に作曲されたものの、第2次大戦中に消失したとされています。現在「ジャズ組曲第2番」と呼ばれているものは、実は1950年代に作られたもので、正式には「ステージオーケストラのための組曲」となっています。どういう訳かこれが「ジャズ組曲第2番」と呼ばれるようになり、全音から出版されているスコアも「ジャズ組曲第2番」となっています。
 ところが、正真正銘の「ジャズ組曲第2番」のピアノスコアが2000年に発見され、イギリスの音楽学者マクバーニーがダンスオーケストラ用に編曲して2000年のプロムス(*注)で初演したことで、事情が複雑になりました。(「第1番」と同じく3曲構成)
 今後、従来の《偽の》「ジャズ組曲第2番」は別な名称で呼ばれるようになるのかもしれません。落ち着くまで、当分は混乱が続きそうです。(現在発売されているCDはほとんど《偽の》「ジャズ組曲第2番」です)

 《偽の》「ジャズ組曲第2番」は、1950年代に、映画音楽を含むショスタコーヴィチいろいろな曲から寄せ集めて作った組曲とのことであり、今回のアンコール曲である映画「馬あぶ」の方がオリジナルで、《偽の》「ジャズ組曲第2番」の「ダンス第1番」が「馬あぶ」からの転用、というのが正解のようですが、正確なところはよく分かりません(無責任ですみません)。

 なお、「ジャズ組曲」といっても、「ちっともジャズっぽくない」というのが定評で、どちらかというと1930年代のソビエト連邦における「ダンス・オーケストラによる一般大衆向け軽音楽」と解釈するのが妥当でしょう。ショスタコーヴィチも、ふざけたり余興で作曲したわけではなく、「ジャズ組曲第1番」は「国家ジャズ委員会」主催のコンクールのために作曲され、ショスタコーヴィチ自身「真のジャズ文化のためのお手本」を意図していたようです。《真の》「ジャズ組曲第2番」も、ヴィクトール・クヌスネヴィツキー率いる国立ジャズオーケストラのために作曲されたものでした。
 つまり、「ジャズ組曲」はショスタコーヴィチの「はみ出した例外的な一面」ではなく、立派な「本質的な一面」と考えるべきものだといえます。
 実際に、「ジャズ組曲第1番」の第1曲「ワルツ」は、正統的なバレエ音楽「明るい小川」(1935年初演)の「ワルツ」と同じものであり、1945年に作曲者自身が編集した5曲からなる組曲(作品39a)の第1曲、アトヴミャーンが編集した「バレエ組曲第1番」の第1曲にも使われていることからも、ショスタコーヴィチ自身が純粋音楽と軽音楽を区別していなかったことが分かります。

 その文脈で「2人でお茶を」のオーケストラ編曲である「タヒチトロット」(作品16)を考えると、指揮者マルコのお遊びの賭けによるものであったにしても、ショスタコーヴィチの本質的な一面をよく表わした作品と言えるのかもしれません。(この成立の経緯はS.ヴォルコフ編「ショスタコーヴィチの証言」にも出てきます)

(*注)2000年プロムスのラストナイトコンサートは、日本でも衛星中継され、そこで「ジャズ組曲第2番」が演奏されたのは私も見て記憶しています。そのときには、そんな複雑な事情とは知りませんでしたし、たいした曲には聴こえませんでした・・・(ほとんど印象に残っていません)。
 なおこのプロムス2000ラストナイトコンサートは、DVDが発売されているようなので、興味のある方はどうぞ。常任指揮者として最後のプロムスとなったアンドリュー・デイヴィスのジョークたっぷりの長いスピーチも聞けます。ちなみに、翌年2001年からはレナード・スラトキンが常任指揮者となりますが、2001年9月15日に行われたこの年のラストナイトコンサートは、ニューヨークの同時多発テロ直後のためスラトキンの希望で急遽プログラムを変更し、「威風堂々」「ルール・ブリタニア」といった定番のお祭りメニューは取りやめ、スラトキンのスピーチと1分間の黙祷の後、バーバー「弦楽のためのアダージョ」、ティペット「我らが時代の子」からの黒人霊歌、ベートーヴェン「第九」4楽章などが演奏されました)

3.蛇足:「ジャズ組曲第2番」の「ワルツ第2番」
 さらに蛇足ながら、《偽の》「ジャズ組曲第2番」の「ワルツ第2番」は、2003年頃に木曜深夜フジテレビで放送していた「お厚いのがお好き」という番組に使われていました(難しい哲学やら文学・科学の「大著」を単純化・パロディー化したような内容だったと記憶)。また、映画監督スタンリー・キューブリックの遺作「Eyes Wide Shut」にも使われていたそうです(私は見ていませんが)。
 昭和初期を思わせる四畳半的な曲で、これがショスタコとは信じられない・・・。ショスタコーヴィチのイメージが大きく変わること請け合いです。
 リッカルド・シャイー指揮コンセルトヘボウ管(「2人でお茶を」を編曲した「タヒチトロット」も収録)、キタエンコ指揮フランクフルト放送響ナクソス盤(ヤブロンスキー指揮ロシア国立響)クチャル指揮ウクライナ国立響(「馬あぶ」組曲も収録)あたりを聴いてみてはいかがでしょうか。