ラリー

 学生時代に現在も籍を置くCCCRの服部さんと出会った。当時発売されたばかりの服部さんのランサーターボ(A175Aだったかな)が納車された日、一緒だったのだけれど、車が届くなりいきなりジャッキアップを始めちゃって、どうするんだろうと思っているうちに前後ともラリアートのサスペンションに交換されてしまった。

ふつう、新車が届いたらとりあえずお友達を乗せて近所を1周するとか、なんとなく調子を見るとか、そういうのが常識だったからこれはオドロキ・・・

 さて、学生やってたある日、アパートに服部さんが来た。少し酔っぱらっていて酒臭い。「おい、これから走りに行くぞ」とか言われて、僕が運転して指示通り中央高速に乗り、長野県の小海町あたりまで行った。

酔いも醒めてきたところで運転を交代、この辺りは初めてだったので詳しく記憶していないが、松原湖周辺の林道に入った。ダートになって最初のコーナーでいきなりランサーは横っ飛び。ケケケケ・・・車ってこんなふうに走るモノなのかと感激の連続だった。

 しばらくして服部さんはこのランサーのデビュー戦としてMCSCの主催するラリーに参加した。ナビゲーターはそれまでのラリーで何度もクルーを組んでいた高島さん。このラリーは第2ステージが変則のヨーロッパ形式だったと聞いたが、詳細はよく知らない。1カ所のミスコースが響いて優勝を逃したと悔しがっていた。たしか総合優勝はAクラスのKP61で参加した三好秀昌選手だったハズ。

 それから少し経って僕に「アルパイン・サマークロスのナビをやれ」と話がきた。JAFの公認ラリーなんて初めてだったし、不安がいっぱいだったのだけれど、服部さんはナビもできる人なので「平気平気、オレの言うとおりにしてりゃいいから」と言ってくれたかどうか忘れたが、成り行きで引き受けることになった。

アルパインといえば当時は冬のアルパイン・ウィンタークロスが全日本選手権として開催されていたのだが、サマークロスの方は中級向けのイベント。スタート地点に集まったラリー車はTE71カローラ/スプリンター、ジェミニ、A175Aランサー、AクラスはほとんどKP61のワンメークだった。今とは違って1300cc上下でA/Bの2クラスの区分しかなかった。TBS(テレビ局じゃぁない)の桜井さんやキャロッセの神部一郎選手なども参加している。

雨の中のラリーで、なんとなく記憶にあるのは、馬越峠からぶどう峠のほうに行って、その辺りのどこかのCPでコース変更の指示があり、CP車のドアに張られていた図はY字路を右に行けというもの。ちょうど次のコマ図がY字路を左だったので、短絡的に次は右と頭に入れてしまい、あっさりとミスコース。500mくらいは走ったろうか、ダートになったところで服部さんが「この道誰も走ってねぇぞ」と気づきUターンした。コース図を確認するとその2つか3つ先に同じ形状のところがあって、そちらが変更すべきコマ図だった。ミスコースしたあとの服部さんは速かった。このあと服部さんとは10戦以上のラリーに出たけれど、このときの服部さんが一番速かったような気がする。(これ以外にはミスコースってしてないけど)

結局この遅れは全部戻すことができず、それでも5位だかに入賞した。ミスコースが無かったら2位か3位だった計算なので、服部さんには申し訳なかったのだけれど、僕のほうはなんだか一番長いつなぎ区間で最少減点だったそうで、ナビゲーター賞なんていうのを戴いてしまった。表彰式で握手をしてくれた柑本さんの手はでかくて熱かった。柑本さんといえば当時は数少ない海外ラリー経験者で、厚木で柑本技研というラリーショップをやっていた人だ。ちなみに優勝したのは神部一郎選手のTE71だったと思う。


その後、服部さんとは15〜16戦くらいは出ただろうか。最上位は新潟の新発田市をスタートして、瀬波温泉がゴール場所だったEASTラリーチャレンジの4位。リタイヤしたのは1回だけで、FRCだったかMCSCだったか、長野県内のイベントで、そのときはAE86だったのだけれど、1CPからすぐのところで5mくらい落っこちてしまった。はじめて車と一緒に逆さまになった。


これまで2戦以上クルーを組んでラリーに参加したドライバーは(敬称略)

服部恒雄 布山裕一 小山薫 岩下徹郎 林幸夫 木暮徹也 新井敏弘 田島正広

機会をみてドライバー毎のエピソードなども紹介したいと思います。


モントレー89スタート

89年に出場したモントレーのスタート。

このときの主催クラブはコルサ・スポーツサークルで、ドライバー(新井敏弘)の横に木暮徹也さんが、その左の方にはマンガさんらしき人が見える。場所は群馬県、嬬恋スキー場。

PIAAのおねぇちゃんの旗でスタートして華やかだったのだけれど、成績のほうはイマイチでクラス9位だった。

浅間サーキットで行われたデイライトのスペシャル・ステージが懐かしい。このコースを使用するために主催者は相当な努力をしたと聞いている。

うしろのゼッケンは当時コンペ・ラリーチームからエントリーしていた沢田/佐藤組のギャランらしい。もともとキャロッセの加勢さんの車を中古で買ったとか言っていたが、よく見るとこのときもまだキャロッセ・カラーのままのようだ。


新井君とはこの年の5月からクルーを組んで、翌年までBC地区選手権に参加したが、全日本選手権に出場したのはこのときだけ。