セラチア院内感染報告(抜粋)
東京都不明疾患調査班 報告書
平成12年3月発行 
事件の概要
1999年7月墨田区内の病院で入院中の患者5名が高熱、血圧低下、出血傾向を呈し、4日間で10名に達した。そのうち5名が発症後13日間に死亡した。

まとめ
1.発症者は、突然の悪寒戦慄と発熱が初発症状であり、重症者では短期間に播種性血管内凝固症候群や腎不全をきたし、エンドトキシンショックを伴う敗血症の症状を示した。
2.セラチア感染がその原因だった。
3.発症者の半数には、局所のセラチア感染がなかったことから直接、血流への感染が起こったと考えられた。
4.発症者全員に共通する行為として、点滴があげられた。
5.輸液の製剤名、輸液添加薬剤の内容、輸液調整看護婦には、共通性は見られなかった。
6.発症しなかった一般患者と比較すると、発症者では、調整してから使用するまでの時間が長い点滴(ぬきさし)を受けているものが多かった。
7.また、点滴口の消毒に50%イソプロパノールを使う点滴(ぬきさし、キープ)で、発症リスクが高かった。
8.都立衛生研究所の実験では、酒精綿を作成後、時間が経過すると、発症者から分離されたセラチアに対する殺菌効果が減少することが認められた。また、今回用いられた50%イソプロパノールは、70%エタノールに比較して劣化しやすかった。
9.同様に、セラチアは、いったん輸液に侵入すると、輸液内で増殖しうることが示された。
10.セラチアの増殖性は輸液によって異なるが、発症者は、全員がセラチアを増殖させうる性状の輸液を受けていた。
11.広範な病棟内の調査にも関わらず、原因となったセラチアと同じセラチアは、病棟の物品、医療器具、医薬品等から検出されず、感染源の特定はできなかった。
12.また、輸液残品は残っておらず、実際に点滴内でセラチアが増えていたと確認できなかつたことから、感染経路の特定にはいたらなかった。
13.以上より、感染源、感染経路について特定できないものの、調査班は、セラチアが劣化した消毒薬等を介して、調整過程で輸液を汚染し、血流への直接の感染がおきた可能性が強いと考えた。
院内感染再発防止のための提言
墨田中央病院 院長 小嶋邦昭
 1997年7月、全国各地とも例年にない猛暑に見舞われ、本院においても入院患者さんから冷房の効きが悪いと苦情が連日のように訴えられていた。空調設備の定期点検がまさに時宜に叶ったように行われたのは、とりわけ暑い7月26日の午前のことであった。

 その前日こ空調設備も一部限界を越え、また二台ある製氷器だけでは需要に追いっかず、別に氷を購入した程であった。7月26日午後、三階病棟でほぼ同じ時刻に三名の患者さんが悪寒戦りつをともなう高熱を発した。一度に三名という不気味な現象を訝りながら菌血症に対する諸治療、検査を施行した。しかし、翌7月27日には今度は六名の同様の発症を見ることになり、事態の異常と重篤さを十分認識しつつもまずは治療を優先する態勢をとった。原因を究明すべく緊急臨時感染対策会議および医局会を開催、症例を医師会員で検討したが空調設備の定期点検後ということで、レジオネラの集団感染を念頭におき治療をすすめ、保健所に翌日届け出ることとした。しかし事態は悪化、その日のうちに一人の患者さんを失い、その後二週間の間にさらに四人の患者さんを失うという最悪の事態となった。


 さて、東京都不明疾患調査班での検討結果を参考にして問題点を整理してみることにする。 第一に挙げられることは、点滴の処置に際して手洗いが不十分であったこと、そして第二に、酒精綿の保管方法が不完全で折からの気温条件も加わり、消毒効果が劣化しやすい状態にあったことが考えられる0従来、私共の施設では、消毒用酒精綿は比較的大き牢容器に作りそこから素手で取り出すという方法を用いていた。おそらく日本のほとんどの施設でも同じ方法がとられていると思われる。しかし、それだけでなぜ、今回に限りこのような重大な事態が生じたのであろうか。

 問題となった病棟には、当時36名の患者さんが入院していたが、その中の一人、患者A(70代男性、脳梗寒後遺症患者)は不穏が強くしきりに俳掴し、時には膀胱留置バルーンを抜く、点滴を自己抜去するといった事を繰り返し、スタッフはその対応に苦慮していた。
 相当量の鎮静剤も効果は薄かった。しかし、ベッドに抑制することは避けたい、薬物で強制的に入眠させるのも躊躇される。そこで人手の少ない夜間帯は、看護記録室に患者をベッドごと移動して、日の届きやすいようにして看護するという方法をとった。(7月30日になって、この患者さんの7月27日の尿検体から、今回の集団敗血症の原因となった菌とほぼ同一と見られるセラチアが大量に排泄されている事が判明した。)この患者を看護しつつ記録をし、投薬をし、注射処置、体交処置、口腔、気管内の吸引などをすると同時に、点滴を作る。

こうした環境の下での一連の作業過程の中で、看護婦の手を介し、酒精綿の入った容器の内部が汚染されて菌が増殖、さらにその酒精綿を介して、菌が点滴内に入ったと考えとして50%のイソプロパノールを用いていたが、今回この報告書の中で明確に示されたように、よもやこの消毒薬が、70%エタノールよりも早く劣化しやすく、セラチア菌に対して消毒効果が著しく落ちるとは事前に疑う余地は全く無かった。

 消毒力の劣化した50%のイソプロパノール酒精綿の入った容器の中に、一度菌が持ち込まれると菌は比較的容易に増殖する。これを予防するには、酒精綿は気密性の高い容器に保管し、作成の時から汚染に気をつけ、有効な期間(時間)をそれぞれの医療現場に見合ったものに設定し、常にその消毒力を維持するようにしなければならない。さらには「どうせ消毒薬だから」と習慣的に安易に容器の中に素手を直壌入れることは厳に慎むべきであろう。酒精綿を扱うときは必ず手洗いをし、市販の綿花は大きな容器で子女なく保存する個別の容器ごとに入れて滅菌、その上で70%エタノールを十分量注入して用いることにした。また、日勤帯と準深夜帯で酒精綿は全て取り替えること酒精綿は摂子で取り出すこととした。理論上は、一回ずつ使い捨て用のパケットに入った酒精綿を用いるのが理想的であろうが、厳しいられる。

諸外国ではひとつずつパケットに入った使い捨て酒精埠を用いているのを良く見かけるが、一般に日本のほとんどの病院では、酒精綿はある程度の大きさの容器に病棟単位で作り、素手で扱うということをしている。経済的な消毒効果を期待してのことだろう。しかし、こうしたやり方では保存容器の開閉が頻繁セあればある程、消毒薬は容易に気化し、まして外気温度が高い時には、消毒効果はさらに劣化しやすいものと考えられる。しかも本院では酒精綿昨今の医療経済環境を考えると一病院だけで行うのは耕しい。苦肉の策ではあるが、以上に述べた方法を厳守するのが現時点では最善と思われる。

 日常の医療現場は多忙を極めている。その中で、患者さんの期待、要望に応えて良質な医療を供給すべく、院内外での学習活動、院内各職場の問題点の点検見直しを本院でも進めて来たつもりであった。しかし、今回改めて現場に目を向けてみると、酒精綿以外でも、例えば点滴の作成過程の一つにも多くの問題点があることを再認識させられずにいられない。アンプルの切り方、点滴口の消毒の仕方、点滴内への薬剤の混入の方法等、更には点滴の調合時期についてもその是非を感染防止の点から検討する機会は今迄少なかった様に思われる。

 そこで、一度発生すると大惨事につながる感染の問題を、改めて基本に立ち返り、それぞれの現場および院内全体で定期的に見直すように院内組織も大幅に改善した。今後ともその努力を惜しまないのは本院全職員の義務であると考える。さらに、点滴作成を、煩雑を極める看護婦業務から病棟薬剤師に移行する事が望ましいと考え、そのような環境を整えるべく改善中である。
セラチア(Serratia marcescens)とは
 自然界に広く分布する運動性のグラム陰性桿菌で、赤色色素産生が特徴であるが、近年は非色素産生株が増加している。特別な栄養を要求せず、水分のあるところ、例えば手洗いの流し場などで増殖する。非病原菌であると考えられていたが、易感染患者に対して、尿路感染症をはじめ、創傷感染、肺炎、髄膜炎、腹膜炎、心筋炎、敗血症などの種々の感染を惹起する。ペニシリン、第1・2世代セフェムには高度耐性を示す。

 わが国では、細菌、広域セフェム薬、カルバペネム薬、アミノグリコシド、フルオロキノンなどの広範な薬剤に耐性を獲得した臨床分離株が報告されるようになり、1990年代 には、イミペネム耐性菌の分離数の増加とそれらにおける多剤耐性化の進行が報告され ている。イミペネム耐性には、膜の透過性の低下に加え、メタロ−β−ラクタマーゼの産生が重要な役割を果たしており、我が国では、プラスミド依存性にIMP−1型メタロ−β−ラクタマーゼを産生する高度耐性株が各地から分離され、警戒されている。

 フルオロキノロン、アミノグリコシドなどにも耐性を獲得した多剤耐性セラチアは、大半が尿から分離される傾向があり、「定着状態」と判断される場合も多いが、癌などの悪性消耗性疾患を基礎疾患に持つ患者では、しばしば肺炎や術後感染、敗血症などの原因となり、院内感染の原因菌となることが多い。

また、2w/v%クロルヘキシジンの中で増殖した報告もあり、病院感染症の多発時には消毒薬の汚染および汚染した注射薬や吸入薬に考慮する必要がある。
本菌除菌を目的とした消毒薬の汚染例報告
ヒビテンを含んだコンタクトレンズ洗浄液の汚染、オスバン、ウエルパス消毒綿の汚染による感染性関節炎、髄膜炎、手術時の消毒薬ハイアミンの本菌汚染が報告されている。
石炭酸を含んだ消毒用石鹸の汚染など。
ヒビテン濃度を4%から2%に希釈したため汚染された例。
セラチア感染の原因と対策
●アルコール綿に直接手を入れる操作でセラチアが混入した。
詰め所内に徘徊患者を収容していた。その患者の尿にセラチアが検出されていた。汚物処理をしたあと手洗い操作が不十分であった。その手でアルコール綿を入れた容器に手を入れた。そのアルコール綿で点滴キャップを消毒した。そのため点滴ボトル内に菌が侵入した。
●点滴液の種類(アミノ酸、電解質液があると最適な増殖環境)を調整後、長時間放置すると多量に繁殖する。これが点滴されると血液内に侵入し敗血症となる。
対策
@アルコール綿を扱うときは十分手洗いをする。
 アルコール綿を取り出すときは摂子を使う。
 使い捨てのアルコール綿を使用する。
 綿花に十分量のアルコールを使う。
 イソプロピルアルコールより70%局方エタノールのほうがセラチアに対して効果が強い のでこちらを使う。
B点滴液は調整後すみやかに使用する。
 点滴液調整前にはかならず手洗いをする。