人質と喫煙
毎日新聞 発言箱より
 久しぶりにパリを訪れたら、喫煙者の多さに驚いた。特に目についたのは女性。カフェでも劇場のロビーでも、さりげなくポシエツトからたばこの箱を取り出す仕草が板についている。

 といっても、フランスの喫煙者が増えたわけではない。2月に発表された調査では、過去4年間に喫煙者は180万人減り、喫煙率は34%から30%になった。政府の増税策が功を奏したが、まだ不十分らしい。

 喫煙の是非を考える時、最近はやりの「自己責任」という言葉が浮かぶ。健康に悪いのは承知だが、自分の責任で吸っている。がんになっても誰にも文句は言わないからいいじゃないか、という理屈はおなじみだ。

 ところが、日本人人質事件では、それ以上の意が「自己責任」に付加された。危険と知りつつ自由意思で行ったのだから助けを求めるのはお門違い。救助費用も負担すべし。他の国民にも迷惑、といった考え方だ。

 しかし、それを言うなら喫煙にはもっと明らかな命にかかわる他人への迷惑がある。しかも、目的はし好。それでも、がんになった喫煙者に「治療の権利はない」「治寮費は自己負担せよ」とは誰も言わないはずだ。

パリでは、「日本で人質が批判されているのに驚いた」という声も複数聞いた。問題を取り上げたルモンド紙の影響もあるだろう。だが、根底には、市民革命を経て成熟した「個人」と「国家」の関係への認識があるのではないか。

 私は日常的に煙害に悩まされている。それでも、がんにかかった喫煙者をバッシングするような世の中は、勘弁してほしい。
     (論説室)

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