オサムシと宝塚

 

天才マンガ家手塚治虫の名前を、間違っておぼえていました。虫を先にかいて、治があとにくるものとばっかり思っていたのです。治が下にくるほうが、名前としておさまりがいいと一人で決めつけていました。

春の一日、宝塚の手塚治虫記念館をのぞいてみました。入口の正面に、アオオサムシの4倍に拡大した模型が展示してあります。ペンネームの治虫

(本名は治)は、この虫に由来して名づけたと言われています。当時、このあたりには、虫もたくさん住んでいたそうです。

記念館には、手塚治虫にかんするたくさんの展示があります。最初に目にはいるのは、幼年期から晩年にいたる直筆のまんがや、記念の品がはいっている円筒形のカプセル。それはロボットをイメージしており、すこし離れてみると、展示品が入っている部分が胴体で、上部に頭のようなものがのっかっています。カプセルは、三十本くらいあったでしょうか。中には小学生の時に描いた昆虫やチョウのスケッチ、4コマまんがやペラペラまんがなどがはいっています。中学三年の時の通知表もあり、博物は優、図画は秀とあります。そして、トレードマークのベレー帽も、カプセルにはいっています。

これらを見て、その早熟の才能に驚きました。

手塚治虫の作品には、ロボットやSFなど未来ものが多いような気がしますが、その背景に、自然への興味と愛情があったことを忘れることができません。

1947年6月号の『宝塚グラフ』に、手塚の「100年後の宝塚見物」と題したマンガが載っています。ロボットの切符売りはともかく、自動化粧器のアイデアは、傑作です。

「すべりこみでお化粧のヒマもないときは、このアナにアタマをお入れください」とあります。このマンガ、どんな絵が描かれているか想像できますか?

手塚治虫が少年時代を過ごしたころとは、宝塚もガラリと変わったことでしょう。しかし、宝塚歌劇は、今も人々に夢をあたえ続けています。

その、おなじ街にある手塚治虫記念館。初期の名作に『リボンの騎士』があったことを思い出した私は、手塚治虫と宝塚歌劇とのつながりを感じないではいられませんでした。なにしろ、『リボンの騎士』は、男装の王女の物語なのですから。