はじめに
私が初めてF1を見たのは(と言ってもTVですが……)、1990年10月21日、日本GPでした。「マニア」なあなたならお分かりでしょう。そう、レース開始わずか8秒後に、アイルトン・セナとアラン・プロストが第1コーナーで接触、両者リタイア、セナに2度目のワールドチャンピオンが転がりんだ、あのレースです。はっきし言って、わけわからん状態でした。それでも、素人ながら(この言葉、適切か?)、トップドライバー同士の意地の張り合いを見て、一人で勝手に盛り上がり、私の体に流れる「マニアの血」が騒ぎ始めたのです。それに拍車をかけるように、1991年、セナは前人未踏の開幕4連勝を成し遂げます(と思ってたら、翌年にはマンセルに破られるのですが)。この状況、私がセナの熱烈なファンになるのには十分でした。結局、マンセルの追撃も虚しく日本GPでセナの3度目にして最後のワールドチャンピオンが決まりました。
最も記憶に残っているレースと言えば、1992年、モナコGPです。前戦までで「開幕5連勝」を成し遂げたナイジェル・マンセルがこのレースを支配します。しかし、残り10周(ぐらいだったと思う。多分。)というところでまさかのスローパンクチャー!!(レース後、ホイールナットの緩みと判明)マンセルがピットアウトした時、セナは既にトップに立っていました。5周ほどのすさまじいドッグファイトの末、レースはセナのモナコGP3連覇と言う結果に終わりました。「マクラーレンホンダが3台に見えた」とはレース後のマンセルの弁。
私の敬愛するアイルトン・セナは、1994年5月1日、イタリアのイモラサーキットにて、彼の信ずる神に召されました。
2000年、ミハエル・シューマッハはセナの優勝回数を抜いた際、会見で言葉を失っています。“Senna was my idol.”と言って涙ぐんだミハエルの姿が頭を過ぎりました。彼自身にとって、セナは目標であり、打倒すべき先輩であったのだと思います。思えば、ニキ・ラウダからアラン・プロストへ、アラン・プロストからアイルトン・セナへ、といった世代交代劇を経ずに、ミハエルはいきなり頂点に立たされ、彼自身の中では相当な苦悩があったのではないでしょうか?
さて、このコーナーでは2001年のシリーズより、毎戦のTV観戦レポート(涙)をお送り致します。レース全般は各誌にお任せするとして、私は「BAR HONDA/ジャック・ビルヌーブ」のレース本戦をレポートします。(ホントは予選もレポートしたいんですが、地上波で放送してないもので……(涙)。関東では今でもやってるんでしょうか?)