「インテリジェント・デザイン(I.D)」理論(07213

この記述は、次の京都大学名誉教授 渡辺久義氏の解説記事を参考にしています。
  http://dcsociety.org/id/watanabe_ronbun.html

  1. 理論の概要

    うすうす感づいていたが、ダーウインの進化論に反対する人はこの世に大勢いる。 彼らは、高等動物である人間が猿から進化したもの、いや、もっと遡れば、バクテリアから進化したものであると言う説を絶対に受け入れない。

    突然変異と自然淘汰と言う偶然の積み重ねで、現在生きている無数の生物群が出現するはずがない。 そこにはある種の必然、すなわち「神の意志」が働いているとする。

    これがインテリジェンチ・デザイン(I.D)理論である。 

    宇宙の創造や生命の誕生などは偶然に出現した事ではなく、自然界に存在する「デザイン」するものによって必然的にデザインされた事象であると主張する。

  2. 自然を超えた知性

    彼らに言わせれば、「宇宙と言う存在も私と言う存在も、それを超えた存在を想定しなければ無意味なものになる。 これは単なる宗教的・道徳的要請から来る、そうであってほしいという願望ではない。 インテリジェント・デザイン理論では、自然を超えた、知性を持ったものの存在が「経験的に検出可能」である。」

    デザイン派の科学者たちの仕事を総合してみると、この自然界に「デザイン」すなわちデザイナー(神)の手が働いていることを立証するいくつかの方法があると、彼らは言う。

    1. ファイン・チューニング

      これは、宇宙の基本的な物理法則やその常数が、宇宙創造の初めから、将来人間のような高等生物とその為の環境を作り出すために、恐るべき精度で微調整されていたと言う事実、すなわち宇宙は最初から人間を頭において作られたとしか考えられない計測的事実である。 いろいろな法則が含む常数全てについて、数値がほんのわずかでも上下していれば、このような地球も存在せず、われわれも存在し得なかったと言う物理的事実が指摘されている。

      この事実は我々に、この宇宙に目的論的観点すなわち「デザイン」を導入する事を余儀なくさせる。

      唯物論者は、自然界に働いているのは目的を持たない盲目の物理力だけであり、それで全てが説明できるのであって、目的を実現しようとする「デザイン」などと言った因子は存在しないと主張する。生物の世界は「いかにも目的を持ってデザインされたように見える」がそれはそう見えるだけである、と言うRichard Dawkinsの明言は有名である。

    2. 「還元不能の複雑性」

      生化学者のMichael Behe氏は、ある種のバクテリアの鞭毛の仕組みを研究し、鞭毛のモーター装置は三十数個の蛋白質の部品からなっているが、そのどれか一つが欠けても鞭毛として全く機能しない。 つまり連携して働く最小限の複雑な単位を構成している事を見出した。 これを彼は「還元不能の複雑性」と呼び、これはデザインされたものとしか言いようがなく、自然界はこういったものに満ち溢れていると主張した。 ダーウイニズムの目的を持たない漸次進化と言った考え方では全く説明できないと言った。

    3. 「特定された複雑性」

      これは情報に関わるものであり、「デザイン」と「デザイン」でないものを見分ける厳密な理論である。

      「この世の事物はすべて「必然」か「偶然」か「デザイン」かによって成り立つものであり、「必然」でも「偶然」でも説明できないものを「デザイン」として認めざるを得ない」と言う理論である。

      鞭毛の機械構造に例をとるならば、これは、物質同士が自らの性質によって結合して新しい物質を作る化学反応によってできた物でない事は明らかである。 つまりそれは「必然」(法則)によってできた物ではない。 またそれは「偶然」できた物でもない。 蛋白質の部品が偶然作られ、それが偶然集まって鞭毛モーター装置ができる確率は、事実上ゼロである。 とすれば、それはデザインされたものでなければならない。

    4. 特権的惑星

      複数の天文学者が、この広大な宇宙には我々の地球のような惑星はかなり多く存在するだろうと言う想定が、ほぼ確実に否定されなければならない事を論証している。 地球のような惑星は、この広大な宇宙にたった一つここにあるだけだと言うことが、100%に近い確度で言える様である。

      天文学的に見ても、我々は、超知性のデザインによって、絶妙の配置と条件の下に仕組まれて置かれているようである。

      「インテリジェント・デザイン」は、ダーウイニズムのように、事実を唯物論と言う「宗教」に合わせてまげて解釈するのではない、あくまで事実に即した厳密な経験的科学である。 しかしそれは、この自然世界を超えるものの存在を指し示す事によって、宗教につながるのである。 それは、科学と神学をつなぐ架け橋なのである。

      以上が「ID理論」の概要である。

  3. 唯物論からの反駁

    唯物論者は自然のデザイナーである神の存在を否定する。 確かに自然界には複雑性の中に簡潔な法則が貫かれており、その法則はこの宇宙自身が持つ特性であり、誰かがデザインして作り出したとは考えない。

    目の構造や鞭毛モーターの構造も、長時間の試行錯誤による斬新進化の結果実現したものであると考える。 

    ID論者はその様な事象が偶然に発生する確率は無限にゼロに近いからあり得ないと主張する。 これに対し、唯物論者は、微小な変化が種全体に普及した後次の微小変化が発生し、また種全体に行き渡った頃次の変化が生じるので、有用な微小変化の起きる確率はある有限の値となり、時間さえ掛ければ十分起こり得ると主張する。 この際、補足しておくことは、遺伝を司るDNAはランダムに突然変異を起こすが、それによって作られるたんぱく質にはたんぱく質独自の特性があり、ランダムに作られたたんぱく質すべてが機能するとは言えない。 特定のアミノ酸配列のものだけがたんぱく質として機能し、それ以外のものはたぶん有害物として破棄されるだろう。 すなわち、機能しないたんぱく質を作るDNA突然変異は直ちに抹殺されるだろう。 したがって、DNAの突然変異は結果的に完全ランダムではなく、ある特定の選択を受ける。  次世代に引き継がれる突然変異確率には或る方向性が与えられ、それらの事象の起きる確率は、完全ランダムの時より増大する。

    ID論者には、もともとキリスト教の信者が多く、人間の知りえない究極の謎は全能の神によってのみ解決されると考え易い。

    唯物論者は全能の神を否定しているが、それは自然そのものが持つ特性だと言っているだけで、その特性を「神」と置き換える事に反対している訳ではない。

    独立した「デザイナー」がいなければ宇宙は存在し得ないのではなく、「デザイナー」は宇宙自身であり、それは宇宙の外にあって宇宙をデザインする意志を持つものではないと言っているのである。(結果を見ると、如何にもある意図を持ってデザインされたように見えるが) いずれにしろこの問題は、神の存在を信じるか信じないかと言った信仰の問題であり、どちらに組しても結果に変わりはない。 

  4. 今後の課題

    何千万年と試行錯誤を繰り返せば、創造神がデザインしたとしか思えない位精巧な生き物が誕生する。人間の時間のスケールで実感できる期間はせいぜい数千年であり、それ以上になると化石を調べるとか、100億光年かなたの銀河を観測する以外に時間経過を実感する術が無い。 唯物論にしろID理論にしろ、それらを支持する決定的な証拠は存在しない。

    これからは、遺伝子が何時どの様に関連し合ってたんぱく質等を作るかを研究しなければならない。 人間の持つ遺伝子は約3万個と言われるが、この10倍の遺伝子を持つ下等生物も存在する。 遺伝子の数よりも、それらの組み合わせによって複雑で多様な遺伝形質が形成されているのだろうから、そのメカニズムを解決しなければ、本当の事は分からない。 コンピュータ言語の単語数はそれ程多くは無いが、異なる機能を持つソフトは無限に作成できる。 個々の遺伝子は単語に相当し、それらを使って無数の生物的機能(ソフト)を発現できる。 我々に残されたのは遺伝アルゴリズムの解読である。 それが分かって初めて、唯物論とID論のどちらが正しいかが決まると思う。