災害対策(07年6月9日)
災害多発国−日本
日本は地理的に災害に遭いやすい地域に位置している。
亜熱帯で発生する台風の中、半数は日本列島に沿って北上し、毎年大きな災害をもたらす。
また、日本は地震多発国である。 日本海プレートの下に太平洋プレートが潜り込んでいるので、震度3−4の地震は毎年起こるし、震度7クラスの大地震も何十年周期かで必ず発生する。 地震学者は東京直下形の地震、東海沖地震、四国沖地震などが発生した場合の災害規模を推定し、公表しているが、それを信じて本格的な地震対策を打とうと言う県知事は現れない。 要するに、対策に回す金が無いので、幾ら災害規模が大きいと警報を鳴らしてもどうしようもないのが実情である。 個人の家は自分で守りなさい。 耐震補強工事への補助金は少しですが出します。 これが行政府としての対策の限度であると皆半分諦めている。
日本以外の地震国、イラン、ペルーなどでも地震が起きる度に日干し煉瓦の家を建築禁止にするが、皆貧乏なので手近かな泥をこねて前と同じ家を作り、次の大地震でまた大被害を起こす。 その繰り返しである。 「喉元過ぎれば暑さ忘れる」の諺どおり、どの国の地震対策もつけ刃に過ぎない。
以前、インドネシア西方地震で数千人に人が津波に呑まれて亡くなった。 インド洋に臨む国々の津波対策は何も採られていなかった。 同じ様な津波が有史以来何回も大災害を起こしていただろうが、世代が変った為、貴重な体験が生かされないまま放置されていたのだろう。
地球温暖化の影響で、アメリカのハリケーン「カトリーナ」は予想外の被害をニューオリンズの街に齎した。 アメリカの様な先進国でも対策は後手後手に回っている。
本当に対策費は無いのか
災害に対し本気で対策を採ろうとすると、災害多発国では膨大な対策費が必要である。
しかし、ここで頭を冷やして考えてみよう。 アメリカが軍需産業に支払っている税金の何分の一でも災害対策に充当すれば、ハリケーンなどで犠牲になる人は殆どいなくなるだろう。 日本でも防衛費の何分に一かを地震対策に回せば同様な効果があるだろう。
しかし、誰もそんな事を提案しない。 日本共産党や社民党が軍事費を削減し福祉に回すことを主張しているが、与党は聞く耳を持たない。
何時起きるかしれない戦争に税金を無駄使いするより、身近に迫っている大地震の対策に使う方がどれ程有効な税金の使い道か、素直に考えれば誰でも気付く事である。
災害対策に回せない理由
強いて理由を考えてみると、次の事が挙げられる。
他にも政治家の言い分は有るかも知れないが、どうせ説得力は無いだろう。
しかし、何万人も死ぬと言う予報が出ているのに対策は自分で立てろと言うのは酷である。 政府や自治体も学校などの公共施設の耐震補強には予算を割り当てようとしているが、個人住宅に対しては微々たる補助金でお茶を濁そうとしている。 防衛予算を耐震対策に回そうと言う発想が無い。
要するに、従来の慣習を破る勇気が彼らに無いだけの事である。
本当は戦争よりも災害の方が数倍も危険であり、起きる確率が高いのに、知らない振りをしているだけである。
それとも、本気で戦争の方が起きる確率が高いと思っているのなら、その人は余程の戦争恐怖症の人ではなかろうか。
(補足)私事になるが、我が家を建てた翌昭和56年、建築基準法が改訂され、耐震設計が厳しくなった。 もう一年遅く家を建てておれば、震度7の地震でも倒れない構造になっていたはずである。 なぜ耐震基準を緩くしていたのか、理由ははっきりしないが、その頃の知識で判断しても耐震性が不十分な建築基準だった事は分かっていたはずである。
なぜもっと早く耐震性を強化した基準に改訂しなかったのか。 と言うのは、家を新築する時に耐震構造にするのと、建てた後で最施工するのでは、掛かる費用は数倍も増加する。
それが、耐震性の検査で「倒壊の怖れあり」と判断された人達が耐震工事を躊躇する最大の理由である。 すなわち、耐震性の無い家を建てさせた当時の政府の責任が問われているのである。 今になって、自分の費用で直せと言うのは責任転嫁ではないか。 税金を使う事を要求するだけの根拠は、ここにもある。