美しい映像を求めて(07/01/03)

  1. 過去を振返る

    今、私は、美しい映像を見せるハイビジョンテレビ番組や季節の花の写真撮影に凝っている。 社会人になってこの方50年余りが過ぎたが、過去を振返ってみて思い当たるのは、美しい映像を求めてずっと生き続けて来たと言う事である。

  2. カメラ遍歴

    社会に出て就職すると直ぐ、リコーのカメラを買って、白黒写真を撮りまくった。

    20代後半、初めての外国出張で南米ペルーに行った時、ペンタックスの一眼レフカメラを買い、アンデスの雪山やインカの末裔達をカラーフィルムで沢山撮影した。それからも、海外出張の都度、美しい被写体を求めて写真を撮り続けて来た。

    デジタルカメラが発売されると、現像なしでパソコンで印刷できる便利さに引かれ、200万画素の「エプソン製デジカメ」を皮切りに、400万画素の「富士フィルム製デジカメ」、600万画素の同社製デジカメ、830万画素の「リコー製デジカメ」と買い進み、季節の花の写真を撮りまくった。 最後にリコー製にしたのは、広角(28mm)でしかも1cmまでの接写が出来る点が気に入ったからである。

    それまでは、5cmまでの接写しか出来なかったが、1cmの接写が出来る様になって、拡大により花の本当の美しさを引き出せる様になった。 小さい花は、拡大するとより美しく見えるものが多い事に気が付いた。

  3. テレビ・ビデオの高画質化へのこだわり

    もう一つは、美しいテレビ映像へのこだわりである。

    就職した次の年に結婚し、東京に転勤になると直ぐ、秋葉原でメーカ品でない3万円の白黒テレビを買った。 電電公社での仕事がマイクロ波回線によるテレビ・プログラムの全国中継で、テレビの映像監視などに従事していたので、品質の良いテレビ画像を見たい欲望は人一倍強かった。 

    昭和39年の東京オリンピックでカラーテレビがお目見えしたが、カラーの受像機は高くて買えなかった。 その年に中米のメキシコ勤務を仰せつかり、2年間メキシコで、マイクロ波無線中継やテレビ伝送技術の教鞭を取った。 帰国すると直ぐ「ビクター」製のカラーテレビを買い、家族皆でカラーのテレビ漫画やドラマを楽しんだ。

    昭和55年、電電公社を退職し、富士通に就職した頃は、もうハイビジョンの時代に入っていた。喉から手が出るほど、美しい画面のハイビジョンテレビが欲しかったが、やはり高くて買えなかった。 当時32インチで40−50万円していた。 ある時、秋葉原を物色して歩いていたら、ある店で1年展示した「パナソニック」製のハイビジョンセットを26万円で売り出しているのにたまたまめぐり会った。 これはチャンス到来と思い、購入して今日に至っている。 今は液晶ハイビジョンテレビが安く買える時代に入ったが、我が家では地上波デジタル、BSデジタル、CS110度デジタルチューナー付きHDD/DVDレコーダーを購入し、これをアナログのハイビジョンテレビに接続して、美しいハイビジョン映像を楽しんでいる。 このHDD/DVDレコーダーでは、HDDによるハイビジョン品質での録画・再生が出来るので、HDD容量の許す限り、ハイビジョンの美しい場面をを楽しめる。

    問題は、DVDにハイビジョン画質のままダビング出来ぬ事である。 最近ブルーレイ方式やHDDVD方式のハイビジョン録画機が売り出されたが、やはり高過ぎて買えない。

    そこで、我が家では、500MBHDDレコーダ(I.O.データ製)を追加購入し、これを上記のHDD/DVDレコーダーとi.Link接続して、HDDの総容量を3倍(250MB+500MB)に増量し、HDD自体をハイビジョンDVDに代わるメディアとして活用している。

    ビデオカメラの方は、孫の誕生を期にソニー製3CCDアナログを買い、次にパナソニック製3CCDデジタル方式に切り替えた。 次に、ソニーの家庭用ハイビジョン・ビデオカメラが発売されると直ぐ、インターネットの安売り検索で見付けた店から、10万円余りでオンライン購入し、現在、季節の花や孫達の運動会などを記録して楽しんでいる。

    現時点で残されている課題は、何時、ハイビジョンのDVD録画機を購入して、全てのメディアをハイビジョン化出来るかである。 しかし、この課題に関してはもうしばらく市場の様子を静観した方が賢明である。 消費者がブルーレイ方式とHD-DVD方式のどちらを選択するか、を見極める必要がある。 その間、HDDレコーダーを代替機器として使用するのが最善の策だと考えている。

  4. 映像美は芸術か

    NHKが去年からシリーズで放送しているハイビジョン番組「プラネット・アース」や「日本百名山」などを見ていると、ある瞬間、瞬間に、目を奪うばかりの自然美が映し出される。 絵画や静止画写真では見れない、瞬間の動的な美しさである。 ゴッホの描いた風景画が数十億円で取引されているが、私はハイビジョンテレビが見せるこの動的美しさの方がもっと価値ある様に思う。
    ハイビジョン映像を使ったメインテナンス・フリーの熱帯魚の水槽や、美しい映像を見せる美術館なども出来ている。 アカデミー賞には「撮影部門賞」があり、優れたカメラワークが評価されている。

    私は、美しさやストーリーの持つ情報量で比較すると、小説や絵画、写真など、ハイビジョンテレビの足元にも及ばないと思う。前者は人間の感性を通してデフォルメされたものであるが、テレビが映し出す自然美や人間の表情などは、生の情景を忠実に再現しており、殆ど人間の感性による歪みを受けていない。
    同じ対象を絵描きの目を通して粉飾し誇張したものが芸術であり、無修正で提供したものは芸術ではないと、本当に言えるだろうか。 人間が描いたものは芸術で、機械が描いたものは只の「記録」に過ぎないのか。
    それを見て美しいとか心が癒されるならば、どちらも「芸術」の範疇に入るのではなかろうか。

    ハイビジョンの映像の一コマが切り取られ、その画質がスチール写真と同等になる日はもう直ぐ来る。 その時、写真家と我々ビデオカメラの素人が撮った静止画は同等な価値を持ち、写真家と言う職業はなくなるのではあるまいか。 一瞬の表情を上手く切り取るのが写真家の技である。 素人が撮った動画の中に、写真家でも撮れない一瞬の表情を見つける事は容易である。 こうして、写真家の存在価値は消滅する。 芸術の大衆化、1億総芸術家の時代がもう直ぐやって来る。