クラシック ムービー(07/01/24

  1. 昔の映画と今の映画

    最近、数十年前のモノクロ映画、「わが谷は緑なりき」とチャップリンの「モダンタイムズ」を見た。 どちらも昔見た事のある名画である。

    昔は、フランス映画は恋愛もの、アメリカ映画は西部劇か陽気なミュージック系の映画が多かった気がする。 ゆったりとした時間が経ち、心温まる映画が多かった。

    これに対し、最近(ここ10年位)の映画、特にアメリカ映画は、暴力的、好戦的、SF的、漫画的(原作が漫画)なものが多い。 

    数十年の間に、癒し系・娯楽系から暴力的で過度の刺激を追及する映画に変わってしまった。

    その上、特撮などの撮影技術が進歩し、CGをふんだんに使い、技術的には優れた映画が急増した。お陰で、各シーンの描写は精巧で迫力のあるものになったが、一層暴力的で破壊的な、非現実的な描写が多くなった。 これでもか、これでもかと刺激的なシーンが展開し、スピード感ばかり先行しているが、内容は余計マンネリ化している。

    映画のテーマはもう種切れ状態で、内容は似たり寄ったり、ただ、より刺激的に描写する事で、観客の興味をかろうじて繋ぎとめている。 

    過度の刺激を避け、普通の生活を描いた、ヒューマニズムに溢れた映画が少なくなった。これには、社会風潮が昔と大きく変わった事が関係している。

  2. 社会の風潮

    経済の自由化、グローバリゼーションが進行し、社会全体が激しい競争に晒されて、日々の生存競争は熾烈になりつつある。 その影響で、人々の心はすさび、思いやりの心や社会的な連帯感は喪失し、家庭までも崩壊する兆しを見せている。 その結果、子殺し、親殺し、家庭内暴力、引ったくり、少女誘拐殺人など、日常茶飯事になりつつある。 新聞やテレビは殆ど毎日これらのニュースを流している。社会秩序が崩壊しつつある。

    特に最近、いじめによる子供の自殺が頻発している。 

    今の都会では、マンションや集団アパートに住むものが多く、ドアー一つが外部との接触の出入り口で、外界から孤立している。 知らない者同士の寄り集まりで、隣に住んでいる人との近所付き合いも殆どない。

    子供は同じ学校に行っていて顔見知りでも、学校から帰ったら塾に行ったり、スポーツクラブに行ったり、家でテレビを見たりして、共通の遊び場がない。 昔は、近所の子供たちが表の路地に集まって遊んだり、放課後の校庭でボールの投げっこなどをよくやったものだ。 一軒家や一軒長屋に生まれる前から両親が住んでいて、赤子の頃から近所付き合いがあり、子供同士は仲の良い友達だった。

    今の子供は、車にその遊び場を奪われ、アパート住まいの為近所付き合いが希薄になっている。 塾通いも子供を孤立させている。 子供同士が日頃から仲良くしていないので、学校でいじめが横行する。 なまじっか、親が金を持っているので、いじめ相手から金をせびられる。 近所の子供も助けてくれず、次第に自殺へと追い込まれて行く。 先生が子供をいじめたり、子供同士のいじめに無関心だったりすると非難されているが、いじめの原因の多くは、子供達の孤立化にある。

    また、最近特によく耳にする言葉に、「所得格差の拡大」がある。 日本は世界でも所得格差の一番少ない国だったが、最近の厳しい労働条件は確かに所得格差を増大させている。 銀行強盗、ATM犯罪、資産家殺害、老人殺害、浮浪者殺害、引ったくり、おれおれ詐欺、インターネット詐欺などの犯罪が多発する背後には、競争社会がもたらす社会秩序の崩壊、情報化社会の欠陥や所得格差の増大が影を落としている。

    そして、今流行のゲーム機や映画・テレビ・漫画などは、これら社会のマイナス面を拡大するマス・メディアに成り下がっている。

  3. 救いはあるのか

    資本主義経済の進展に伴い、人々はある程度豊かになったが、その代償として精神的な荒廃を来たしている。 成果第1主義の競争社会は、物質面では豊かな社会を作るが、精神面では人間の心根を荒廃させる欠点を持っている。 また、人の移動が激しい車社会は、都市における核家族の孤立化を助長している。

    これからは、物質的な豊かさのみを追求しないで、精神的な豊かさを志向する社会に、もう一度回帰させる必要がある。 その為には、税制改革や労働条件改善など、所得格差を制度的に低減させる対策を取る必要があり、ゆとりのある教育制度に回帰する事も再考しなければならない。

    そうして、昔見た様なクラシック・ムービーが新しい形で復活したら、我々は、「少しは世の中がまともになって来た」と、安堵の胸を撫で下ろすことが出来るだろう。