権力の構造(2009625)

  1. 権力の発生

    人間が社会生活を送る様になってから権力は発生した。動物の世界にも強者と弱者の序列がある様に、人間社会にも力の強い者、知力に優れた者、宗教的霊感者たちが集団内の権力闘争に勝ってそのトップに立ち、他人を支配する力を持つに到る。 集団の秩序を守り、人々の争いを鎮め、皆が協同して生活を送るには、権力による統治を必要とした。

    集団が地域的に拡大するにつれ、社会の組織も複雑な階層構造となり、権力構造も組織に適応して階層化して行った。 

    3大文明の発祥地には強力な統治権を持つ王のもとに人民が組織され、強大な古代国家が出現した。彼らは周囲の集団を統合して自国を拡張したり、隣国を征服するために戦乱を起こし、勝者がそれらの国を統合し、ますます強大な権力を手に入れて行った。

    地中海を取り巻く広大な領土を支配したローマ帝国、欧州からインドまでを征服したアレキサンドリア帝国、群雄割拠する小国をまとめ中国に統一国家を形成した秦の始皇帝など、権勢を欲しいままにした幾多の専制君主が古代歴史に名を留めている。 大航海時代には新世界の富と新しい植民地を求めて西欧の国々が世界の海を駆け巡った。 産業革命を経て帝国主義の時代に入ると、アフリカ大陸やアメリカ大陸、そしてアジアの国々は西欧列強の力に屈し、数多くの植民地に分割された。強大な帝国主義国家権力が世界中を蹂躙した。

  2. 革命と権力

    国家は栄枯盛衰を繰り返し、新しい王に権力を継承する封建時代が続いたが、16世紀の半ば以来イギリスでは、羊毛産業の成功で力を蓄えてきた「農村の織本」達が土地を失くした貧農を賃金労働者として雇い入れ、産業資本家として成長し、17世紀半ばの清教徒革命、1770年代からの産業革命により新しいブルジョアジとしての地位と権力を確立した。

    18世紀後半、フランスでは王権による絶対主義がゆきずまり、市民や農民の不満が爆発してフランス革命が勃発した。 1789714日、食糧危機などでパリの民衆は憤激し、専制政治の象徴とみなされた「パスティーユ牢獄」を襲撃し占領した。この報に驚いた国王は、ついに国民会議を承認し、国家の主権は国王から国民の手に移った。この間、アメリカでは独立戦争(1775-83)に勝利した人民が民主共和国を建国した。

    ロシアでは、ヨーロッパ諸国を席巻した市民革命とは逆に、専制君主による反動政治が行われたので、社会の底流には絶望状態からくる極端な革命思想があった。 

    1898年にはマルクス主義に立脚した社会民主労働党が、1901年には革命を達成するためには暗殺行為をも辞さない社会革命党がそれぞれ結成された。 フランス革命は、人は自由かつ平等の権利を有すると主張し、所有権の神聖不可侵が強調された。 しかし、資本主義的な生産の発達は富の配分に不平等を生みだし、その矛盾の解決を求めて社会主義が提起された。 19173月、ロシアでは「三月革命」が勃発し、ロマノフ王朝が倒れた。 これはブルジョア革命であったが、さらに同年11月、「十一月革命」とよばれるボルシェビキ革命が起こった。 地主の土地を無償で没収し、これを農民に分配しようとした。 これが多数の支持を得ていない事が判明すると、レーニンはボルシェビキ以外のすべての政党を禁止し、「プロレタリアート独裁」と呼ばれる一党独裁の政治機構を樹立した。 これがロシア革命である。 

    フランス革命の理念が19世紀のナショナリズムと結びつき、その枠組みの中で多くの市民国家が形成されたのと同時に、ロシア革命に由来する社会主義国家の理念がナショナリズムと結びつき、第2次世界大戦後には社会主義を標榜する国家が数多く誕生した。 これらの国家は最初はソ連邦を中心に団結を誇っていたが、共産圏内部からの矛盾増大を契機に「ベルリンの壁」崩壊に象徴されるソ連邦の解体へと進んだ。

  3. 共産主義の失敗

    19世紀から20世紀に入ると世界は大きく変動した。 日清戦争(1894-95)、日露戦争(1904-05)第1次バルカン戦争(1912-13)、第2次バルカン戦争(1913)、第1次世界大戦(1914-18)、日中戦争(1937-)第2次世界大戦(1939-1945)が勃発し、独占資本主義と結び付いた帝国主義国家はアフリカ大陸を分割し、アジア・太平洋諸島を侵略して行った。

    その間、1929年にはニューヨークのウォール街を中心に世界大恐慌が発生した。経済不況に苦しむドイツや日本にはナチスや日本軍部の政治介入により全体主義が台頭し、第2次世界大戦に突入する。

    世界の資本主義国家が世界大恐慌によって苦境に陥っているのをよそに、ひとりソ連邦は社会主義体制の基礎を着々と固めていたが、これと並行して政治上の粛清が相次いで行われスターリンの独裁はますます強化された。

    貧富に差がない完全平等社会、私有財産を認めない理想社会の建設はなぜ挫折したのか。

    それは人間が本来持つ性質、人より有利に立ちたい、自分の生活を豊かにするために働きたい、楽して稼ぎたい、自分の欲望を満たす自由が欲しいと云った要求をきびしく規制し、勤労意欲を失わせ、息抜きの快楽を奪い、平等な理想社会を実現するためには、人間性を犠牲にしても止むを得ないと考えたところにその欠陥がある。 人間はできるだけ自由に生活すると幸福感を感じる。 しかし、それを許すと共産社会は実現できないので、思想の自由を抑制するため、秘密警察や密告を組織化し、相互信頼が持てない陰鬱な拘束社会を形成する。また平等な社会を実現する為の指導組織を強化しそれに絶大な権力を与える。 人間は善人ばかりではないから、与えられた権力を悪用し、私腹を肥やす者も現れる。 こうして、権力を持ったものは裕福になり、自由を奪われた人民は勤労意欲を喪失し貧乏になる。 完全平等を夢見た社会が、格差のある相互不信と欲求不満の社会へと堕落して行く。 こうして、理想社会の実現を標榜した共産主義は内部から崩壊して行った。

    現在中国もソ連も共産党の一党独裁体制をとっているが、資本主義の良い所を取り入れて、自由経済を奨励している。貧富の差は拡大しているが放置されている。 過っての理想は何処へ行ったのか。 指導者たちにも志向する未来の理想郷ははるか五里霧中のかなたにある。