慣習を見直す(03/2/25)

昔、一夫多妻の時代には男は堂々と浮気が出来た。 天皇陛下や将軍達は消耗品のように毎晩女を変えた。 その頃は本妻達も従順に夜伽の順番を待っていた。 現代の一夫一婦制が普及した理由は良く分からないが、多分キリスト教信者が人間らしい生き方を模索している内に定着した制度であろう。

生物学的に観ると男性は浮気をする様に作られており、女性も1人の男性に操を捧げる様には作られていない。 動物の中には、特に鳥類の様に一夫一婦制を取るものもいる。 しかし、それは2羽で交代して卵を孵化する必要性から生まれた生活スタイルであり、人間までが一夫一婦制を取る必然性はない。

結婚した女が夫の浮気を許せないのは、自分以外の女性に精子を提供すると専属の精子提供者を失う惧れがあるからである。それなら新しい相手を獲得すれば目的は達せられる。 色々な男の子供を生むと、子供を育てる費用を複数の男親から貰う必要が生じ、育児責任の所在が不明確になるのが疎ましいからなのだろうか。 養育費だけ払えばこの問題は解決するはずである。 欧米にはそう云った男性が沢山いる。

少々夫が浮気したからと言ってメクジラを立てる必要等全然見当たらない。 浮気は不道徳であると女性達が勝手に思い込んでいるだけなのである。

道徳とは人間が作り出した規範であり、往々にして本質的意味を持たないものが横行する傾向を持つ事を、生物学は教えてくれる。

戦後一番強くなったのは女性である。 彼女達の主張は「男女は平等でなければならない」と言う事である。 しかし、生物学的に観ると、女は子供を生め、男は生めない。 母乳も出ない。 生物として両者は分業する様に作られている。 お互いに得意な分野を分担するのが最も効果的な生活様式である。 女は子供を生んで育て、男は生活の糧を稼いで来るのが効率の良い分業の仕方である。 人生の本来の目的は子供を育てる事であり、育児は最も崇高で重要な仕事である。 

それなのに、社会に進出してバリバリ仕事をするのが人生最大の目的であると誰かが勘違いし、女性は家事から解放されるべきであると主張した。 その人はそう信じたのかも知れないが、生物学を勉強すると、それが根拠の無い妄想である事が分かる。 キャリアウーマンは家事や育児を軽蔑し、男性に対抗して仕事をする事に生き甲斐を感じている。 それはその人の勝手であるが、本来の目的から逸脱している事だけは自覚して欲しい。

日本人ほどブランド品の好きな人種はいない。 最近1万円で落札予定だった絵が、「ゴッホ」の作だと分かった瞬間に6000万円に跳ね上がり、広島のさる美術館に買われて行った。 絵の価値を自分の目で見て決めないでブランドで決めている事を、改めて見せ付けられた事件である。 裸の王様が国中に充満している。 物の値打ちを自分の目で判断しないで、「ブランド品は全て良品であり、お金を払う値打ちがある」と思い込んでいる。

日本人の有名校指向も根は共通している。 有名校を出た人は全て優秀な人間であり、無名校を出た人は全て劣る人間であると画一的に評価する。最近学歴社会の矛盾に気付き、学歴無用論が浸透しつつあるが、まだまだブランド指向の人は多い。

「ゆとり教育」を嫌い、子供を塾に通わせる親が多いのは、勉強さえすれば子供は幸福になれると信じ込んでいるからである。 子供の個性を伸ばし、その子に似合った人生を送らせる事が最も重要である事が分かっていない。

出世して金の稼げる人間にすれば事足りるとする拝金主義に毒されている気の毒な人達である。

猫の額の様な土地にしがみ付き、絶対に立ち退かない人が日本には沢山いる。 西欧人は狩猟民族であり、日本人は農耕民族であるかも知れないが、真の原因は近代の「個人主義」「民主主義」を誤って解釈しているからだと思う。

冷静に考えるとその土地にしがみ付く必要性は何処にも無い。 それでは何故公共設備建設の為に土地を献上しないのか。個人のエゴを通す事が「個人主義」であると勘違いしている。

「個人主義」とは個人個人の主体性を尊重する事であり、多くの他人が困っている時に自分の都合で犠牲を払わない事ではない。 大多数の幸福を達成する為には個人個人が幸福である必要があると言うだけで、個人が公共より優先すると言っているのではない。自分から勝ち取った「個人主義」「民主主義」ではなく、外国からの輸入品であるからその本質が理解出来ず、「エゴイズム」と勘違いしているだけである。

効く効くと宣伝している風邪薬ほど飲んで見ると効かない。結局は医者の厄介にならないと治らない。

私の推測では、良く効く薬は薬局では売れない様にし、医者に掛かる方向に誘導しているとしか思えない。 救急車に乗った看護士が医療行為を禁止され、生じっか助かる患者がどれだけ命を落としたか。  今では相当な範囲の応急手当が許可される様に規制が緩和されたが、このような愚策は今も社会の隅々に幾らでも残存している。 大抵は特定層の保護策に成り下がっている。

日本の理髪店は高い。 不必要なサービスを押し売りし、4000円近い料金を取る。  同業者の組合を結成し、談合で協定料金を設定し、自由競争を阻害している。 これは一種のカルテルであり、独禁法違反である。

タクシー業界も似た様な構造になっている。 一部競争原理が導入されているが、業界の妨害で安いタクシーが普及しない。

先日「カットのみ1000円」の散髪屋に行って来た。 開店前から行列が出来ており、簡単な椅子に座って10分程でカットして貰った。 これで目的は十分に果たされた。 何処にも「理髪組合」のマークは掛けてなかった。価格破壊の敵だから正当な組合には加入出来ないのだろう。

政治家に金を積んで公定料金制を維持してきた理髪業界も、これからは暴利を貪るわけには行かない。 政府の規制緩和を徹底し、適正な料金でサービスが受けられる社会に早くなって貰いたいものである。