アメリカの恥部(07/04/13)

2007年の3月中旬、長男の結婚式を挙げるべくハワイのホノルルに旅立った。

一行は両家の両親に花嫁の友人3名が参加して、総勢9名であった。 JTBのアレンジでワイキキのホテル“ハイアット”に3泊した。 17階の海側の部屋から見る眺望はまさに絶景であった。 遠浅な海は透き通った瑠璃色に彩られ、はるか沖合いに立つ白波に波乗りを楽しむ人達が小さく蠢いた。 夕日はゆっくりと水平線に沈み、茜色の光芒を放つ最後の一瞬まではっきりと見て取れた。 あの太陽はきっと昼過ぎの日本を照らしているだろうとふと思った。 地球の丸さが実感できた。

一日目は時差ぼけで早く寝た。 二日目は午前中に結婚式を済ませた。 海辺の教会は祭壇が総ガラス張りで、紺碧の海、ワイキキ海岸のホテル群、ダイアモンドヘッドが遠くに見え、海を吹き渡るさわやかな風がそのまま式場に入ってくるような開放感を感じた。

アメリカ人の牧師が日本語で誓いの言葉を述べ、型どおりリングの交換が行われて無事式は終わった。 挙式中、写真撮影は禁止され、専属のカメラマンがビデオを撮っていた。折角日本からビデオカメラを持参したのに無駄に終わった。

ワイキキ公園が見える近くの会場に席を移し、ケーキの入刀で緊張をほぐした後、家族水入らずの軽い昼食を取って祝杯を挙げた。 午後はにわか雨の中をホテル前の海岸でひと泳ぎした。 水はまだ少し冷たかった。 すこし沖に出て足を下ろすと、下は砂地ではなくごつごつのサンゴ礁の岩肌だった。 夕方は、「サンセットクルーズ」と銘打った観光船に乗り、太平洋に沈む夕日の美しさを堪能した。 海から眺めるホノルルの高層ビルの夜景も印象的だった。

三日目の午前中は待望のゴルフを楽しんだ。 ハワイは今回で5回目だが、これまではいつもトランシットでそんな余裕は無かった。  毎回横目でゴルフ場を見ながら一度やりたいと思っていた。 今回やっと長年の希望が叶えられた。

午後はショッピングで過ごし、夕食はハワイ料理で盛り上がった。

翌日はもう帰国、日付変更線を越えたので成田に着いた時は翌日の午後7時過ぎだった。 日本の夜は寒かった。 寒さを予想して手提げかばんに入れておいた長袖のカーデガンを羽織ろうとした時、それが無くなっているのに気付いた。 ホテルの女中に盗られたに違いないと直感した。 1974年、南米ペルーから家族同伴で帰国した時も、ハワイのホテルで高価な装飾品を盗まれた苦い経験がある。 ペルーでは盗難は日常茶飯事だったが、アメリカのような先進国なら大丈夫と油断したのが敗因だった。 今回も少しは気を付けていたが、やはり隙があった。

私は繁栄するアメリカの恥部を見せ付けられた思いだった。

ホテルの従業員達は決して豊かではないのだ。 我々も金持ちではないが、彼らには泊り客は皆リッチに見えるのだろう。 所得格差の大きなアメリカでは、金持ちから小物を頂戴する事は罪悪ではない。 それは世の中の不平等を幾分でも解消する行為とされる。多分、彼らの脳裏を掠める正当化の論理があるのだろう。

私はホテルのホームページを探して、この一件をEメールで告発し、弁償を要求した。 返事は直ぐ来たが、証拠無しで一蹴された。 盗みましたと正直に言う従業員がいるはずがない。 盗られた方の注意不足を暗に非難している様な文面だった。

要するに、日本の様に安全な国は世界中には余り存在しないのだ。 富士通にいた時色々な国に出張したが、キリスト教徒の国が一番性質が悪かった。 イスラム教やヒンズー教の国はおおむね合格点だった気がする。 

アメリカは全体としては豊かであるが、完全自由競争の国であるから所得配分は大きく歪んでいる。 大きな所得格差が社会的反感や緊張を生み、自衛の為にガンを必要とする国である。 死の商人が蔓延り、イスラエルの後ろ盾になって中東を混乱させ、戦争を煽り立てる。 民主主義の仮面を被っている偽善者である。

今回の一件で、アメリカの抱える醜悪な一面を見せ付けられた思いがする。

しかし、油断は出来ない。 最近の日本の犯罪傾向はだんだんアメリカに似て来ているからだ。