運命論(0399

  1. 運命は存在するか

    運命とは何か。 「自分自身では変えられないもの」、「何か、見えざる手によって操られている事」など、色々な表現が出来るが、そう言った意味では人間は勿論、全ての生物に「運命」はある。

    しかし、それは「ランダムに決まる運命」であり、「籤引きで決まる運命」である。

    受精の瞬間、一個の卵子の周りに約1億個の精子が群がり、その内の1個が結合する。 各精子はすべて部分的に異なる遺伝子を持ち、同じものは無い。 どの精子が選ばれるかは予測出来ない。 卵子の方も毎回遺伝子の組み合わせが異なり、どの卵子が受精に成功するかはやはりランダムである。  受精の可能性のある卵子は一人の女性で300個以上あるから、一回の受精で選択される確率は1/(300I100,000,000)以下となり、一生に一人しか生まないとすれば約300億人の子供からランダムに一人を選ぶ事になる。(自然は多様化を好むらしい)

    こうして、約1/300億の確率で受精した卵子は直ちに分裂を開始し、胎児となり、約10ヶ月で出産する。 生まれた子供は「選ばれた子」であるが、両親を自分が決めた訳ではなく、国籍も育つ環境も既に決められていた。

    一卵性双生児を見ると分かる様に、その子の性格、体質などは殆ど遺伝子で決まる。 自分でコントロール出来るのは、学習する知識、習慣など後天的に受け入れる情報や刺激による人格形成の段階であるが、そこにも先天的な遺伝子形成や環境、それに各種偶発的要因が大きな影響を与えている。

    自力で獲得した資質以外はすべて「運命」で決定されており、それは自身で選択する事は出来ない。  従って、自覚しようとしまいと、人は生来「運命論者」として生きざるを得ない存在なのだ。  その事を知らないで、人生は自分で切り開くものと勢い込んでいる人が沢山いる。 しかし、もともと偶発的要素の多い世の中を、自分の設定した目標に向かって直線的に進むのはかなり難しい。 人生の喜怒哀楽はそこから生じる。

  2. 運命に従う

    両親や生まれた環境が悪いから自分は不幸であると考える人がいる。しかし、与えられた初期条件に文句を言っても始まらない。  それは貴方の運命なのですから。我々に出来る事は、その事実を認めた上で出来る範囲の努力をする事である。

    人間の遺伝子には色々な特性が織り込まれており、何かその人にしかない特質を秘めている。 それに早く気付き、その特質を最大限に伸ばすのが、自分を一番生かす生き方である。 要するに、自分の好きな事をとことん追求すれば良い。 時には錯覚して横道に反れる事もある。  自然界に「ゆらぎ」は付き物だから紆余曲折があるのは当たり前である。 「プロセスを楽しむ」余裕を持って進めば、おおむね何とかなる。

    一番悪いのは、自分の特質に全然合わない方向に進む事だ。 世襲制は成否相半ばする。 後を継がせる為裏口入学で子供を無理やり医者にすると言うケースは世の中に良くある。  だから2代目の医者は敬遠する方が賢明である。

    政治家にも、長年培った「地盤」を子供に引き継ぐ人が多い。 これも世襲制の悪弊の最たるものである。 政治家や医者の子供に生まれたのは運命であるが、同じ職業を継承するのは運命ではない。 それは、大抵の場合「運命に逆らう行為」である。

  3. 個性の時代

    遠い昔は、乏しい食料を手に入れ、生延びて行く事自体が一生の仕事だった。  現代の様に自由に人生の選択をする余裕など無かった。 封建時代には身分が固定され、自分の個性を生かすチャンスは極めて少なかった。  しかし現代は、生産性の向上により余剰人口を養って行く余裕が増大し、職業選択の幅が拡大した。 スポーツマン、タレント、大道芸人、評論家、作家、趣味講座の講師など、サービス業に携わる人が急増している。 自分の生き方を自由に決め、我々に与えられた「運命」を最大限に生かせる時代が来た。 

    しかし、本来怠惰な本性を持つ人間にとっては、これは大きな落し穴でもある。「小人閑居して不善をなす」と言った古人の予言が的中しない事を切に願う。