身体に残る進化の痕跡(2007115日)

  1. 耳の穴はエラの穴

    硬骨魚類よりも原始的な顎の無い「ヤツメウナギ」には目の後に丸いエラ穴が7つ並び、合わせて8つの目がある様に見える。 陸上に魚達が進出した時代、エラ呼吸から肺呼吸に進化したのでこれらのエラ穴は不要になった。 そこでエラもエラ穴も消滅したが、一番前にあった咽頭に通じる呼吸孔だけが残ってヒトの耳の穴になり、そこに鼓膜や内耳器官が出来て聴覚器官を構成した。 人間の初期の胎児には4対のエラ穴が現れる時期があり、4億年前エラを持っていた頃の姿が垣間見える。

  2. 耳の中に鮫の顎

    人間の耳には鼓膜の振動を内耳の蝸牛管に伝達する為の耳小骨がある。 耳小骨はツチ骨、キヌタ骨、アブミ骨から出来ている。 人間の4週間目の胎児には顎の元になる顎骨弓が生じ、左右に軟骨の棒ができる。 これをメッケル軟骨と言う。 メッケル軟骨は後端が骨化してツチ骨となり、残りの大半は消えてしまう。 これは鮫の下顎軟骨と同じもので、4億年前の名残がヒトの発生初期に見られると言うことである。

    顎は4億年も前に鮫の先祖に始めて登場した。 それ以前の段階では頭の甲(かぶと)の下側に開いた穴から水底の餌を吸い込むだけで顎は無かった。 鮫の下顎を作っている軟骨とヒトの耳小骨のツチ骨の起源は同一であった事を、メッケル軟骨が証明している。 

  3. 口の中に鮫肌

    ざらついた肌の事を鮫肌と言うが、鮫の肌がざらざらなのは小さな鱗の一つずつに歯の様な突起があるからである。 これをその形から楯鱗(じゅんりん)と言う。 楯鱗を顕微鏡で覗くと、象牙質の表面をエナメル質が蔽っており、大きさは違っても歯とそっくりな事が分かる。この事から歯はもともと体表全体を蔽っていた楯鱗の内、顎が出来た時に口の周りにあった鱗が拡大し、やがて顎の骨に根を下ろしたものだと考えられている。

    髪や毛も爪も表皮が変って出来たものである。 こちらは新陳代謝が活発で、フケが落ちる様に絶えず更新する性質がある。 歯も同様で抜けるとすぐに生え変わるのが本来の姿である。 実際魚類から爬虫類までは何度でも代わりの歯が生えてくる。 これに対してヒトの歯は子供の時の乳歯から大人の永久歯に一度しか生え変わらない。 哺乳類に中にはウサギや歯クジラの様に一度も生え変わらないものさえいる。

    歯の生え変わり方には幾つかのタイプがある。 大半はヒトと同じように歯が抜けたあと、同じ場所に下から生えてくる。 ところが鮫の場合には代生歯が顎の内面に何枚も折り重なって待機している。 歯列の一箇所が脱落すると、寝ていた一番上の歯が反転して顎の上に立ち上がる。

  4. 身体の皮膚を動かす筋

    「蛙の面に小便」と言う表現がある。 蛙は嫌な顔をしたくても表情を変えられない。 一方、人間は顔の皮膚の動きによって様々な表情を作れる。 頭の骨から顔面の皮膚のいたるところに沢山の細かい顔面筋が走っているからである。 このため、ヒトの顔面筋のことを表情筋とも言う。 顔面筋のように皮膚に付く筋を皮筋と言う。 普通の骨格筋は骨から骨に走り、骨の間の間隔や角度を変えることで姿勢の変化や運動をするのに働く。 これに対して皮筋は一端又は両端が皮膚に付くので身体を動かさずに皮膚だけを動かす事が出来る。 しかし、霊長類の皮筋は退化している。 退化の傾向は霊長類に見られ、ヒトを含め類人猿の皮筋は口の周りの広頚筋と頭の表情筋に限られる。 それは腕が極めて自由になって、身体の何処にでも手が届くようになったからである。

  5. ヒトには無いヒゲ

    ヒゲを持たない事がヒトと獣の違いだと言ったら、リンカーンや明治天皇など「ひげ自慢」達に叱られそうである。 しかしこれらの毛は生える場所によって区別されているだけで普通の毛であることに変りは無い。 これに対して、ヒト以外の哺乳類には、触毛と呼ばれる別のタイプの毛がある。 触毛は普通の毛よりもはるかに長く、太く、毛根には黄紋筋が備わる。基部には豊富な神経が来ていて、毛が何かに触れて動くと感知できるようになっている。 普通の毛にもこうした働きがあるが、その感覚機能が特殊化し鋭敏になっている。 触毛は4足動物の前面になる顔に集中し、上顎、眼の上、眼の後の頬骨、顎の先、下顎の下面の5箇所に生える。 そこは顔面の知覚を司る三叉神経の主な枝が神経孔から皮膚に出てくる位置に当たる。

    霊長類の進化は樹上生活と関連している。 原猿から真猿になると鉤爪から平爪に変る。 鉤爪では木に喰い込ませて体重を支える。 これに対して平爪の指では、向き合った指で掴む事でより大きな体重でも支えられる。 平爪になった為に指先の面積が広がり、そこに指球が発達する。 高等霊長類の指球は、かなり細かいものまで識別できる敏感な感覚器となっている。 こうした指先の発達につれて、触毛は徐々に取って代わられたのだろう。

    ヒトの胎児には手首の小指側に小さな皮膚の乳頭が見られる事がある。 この乳頭はほんのつかの間のもので触毛が生えるわけではない。 しかしこれこそヒトの遠い祖先にも下等霊長類に特有の毛根触毛があったことの証拠なのである。

  6. 第3の瞳−半月ヒダ

    鏡の前で上下の瞼を広げてみると、目頭の瞼の縁にある針で突いたような小穴が涙点、つまり涙の排水溝である。 目頭には排水調整池にあたる涙湖があり、そこを埋めるピンク色の粘膜の塊を涙丘(るいきょう)と言う。 さらに黒目を外に流し目にしてみると、白目に引きずられるように涙丘の外側に半月ヒダが出て来る。 これは退化した瞬膜の名残である。 カラスの目を観察していると、目の表面を白いものがさっと横切る。 これが鳥の瞬きで、白い膜が瞬膜である。 瞼は何の為にあるのか。 眠る時に光を遮断する為ではない。 瞼の無い魚でも眠る。 瞼が出来るのは両生類からであるが、水生のサンショウウオには無く、陸生の4足動物にあるので、どうやら生息環境と関係がありそうだ。 眼球の表面にある透明な角膜は乾くと白濁する。 このため絶えず湿らせて置かねばならず、瞼の内側には液体を分泌する腺がある。 例えば蛙では下瞼の下にそう結膜の袋に瞬膜腺が開き、膜に油を塗っている。 これが涙を分泌する涙腺の始まりである。

    蛇の目は瞼が無いので瞬きしない。 しかし先に述べたように、角膜を露出したら濁ってしまう。 じつは瞼が透明になってゴーグルを掛けた様になっている。 これがまわりの皮膚と繋がっているので、脱皮すると一緒に剥けてしまう。 このゴーグルが他の爬虫類の瞬膜に当たるらしい。 哺乳類では涙腺が目じりの上方の内側に付いている。 また、上瞼の方が下瞼より大きくよく動く。 つまり涙腺はまず下瞼の目頭付近にでき、目尻をまわって上瞼に移って来たことになる。 

    猫の瞬膜は大きく、眼全体を蔽うが、一般に哺乳類では瞬膜が幾らか退化している。 また哺乳類には睫毛の内側に瞼板腺(けんばんせん)と言う脂腺ができる。 この脂によって眼球の表面と瞼との間の滑りが良くなる。 

    類人猿やヒトでは瞬膜はさらに退化して半月ヒダになる。 瞬膜は瞼ができるまでのつなぎの役をしていたのではないかと考えられている。

  7. 男の乳房

    32歳の男が妻をなくして乳飲み子を残された。 育て方が分からない彼は、やけになって赤ん坊を自分の胸に押し当てていた。 すると次第に胸が膨らんできて、遂には子を育てるのに十分な乳が出るようになったと言う。 動物の例では、オスのヤギや去勢羊から乳が出たと言う報告がある。 乳腺はもともと腺組織なので、男でも時には生後まもなくか思春期に、多少とも膨らんだ胸から乳を出す事がある。 このような乳を「魔女の乳」と言う。 これらはあくまでも例外だが、恒常的に雄が授乳する動物がいる。 あるオオコウモリのオスの乳頭は大きく発達している、と言う興味深い報告がある。 

    多くのコウモリは、一度に2匹の子を産むが、母親に2匹以上に子がしがみ付いている事は無い。 そこで、オスの乳頭が大きく発達して、メスに変って1匹の世話をすると信じられている。ヒトの胎生期には男女とも乳腺に沿って原基が並ぶ。 その後、人では胸の一対が残り、さらに思春期になると女子だけがホルモンの作用で肥大化する。 男子では胎生期のまま残り痕跡器官となるが、何かの都合で機能する事は十分考えられる。

  8. 失われた発情サイン

    多くの霊長類のメスでは、発情すると尻の性皮という部分がふくれあがり、鮮紅色になる。 性皮のこうした変化は明らかにオスに対する視覚的な性刺激として働き、これによって排卵時に確実に交尾できる事になる。

    発情期はヒト以外の全ての哺乳類に見られるので、発情現象そのものが無いのはヒトの特徴と言える。 このことは交尾行動が繁殖活動以外に使われることを示していて、ボノボにも見られる現象である。 発情期の消滅は普段の社会行動を妨げる性的な熱狂の期間が無い為、人類進化における最高に重要な発展だとされる。 発情期が無い事で子育て期間が延長でき、性的環境が穏やかになって雌雄関係が割りと永続的になったのである。 一体発情期、そして性皮が無くなったのはいつ頃の事だったのか。

    人類は直立二足歩行する為、かってメスがオスに示した性皮という視覚刺激は股間に隠れて見えなくなり、失われた。 後から見える性皮に代わって前から見える顔、唇、乳輪のある丸い乳房がその代替物だという見方もある。 直立した事が発情期の消失に直結したのなら、ずいぶん古い昔の事になる。

    食と性は関連しているので、家畜化は繁殖の周期性に変化をきたす事が多い。 野生動物の多くは捉えられると全く交尾をしなくなる。 ところが、餌の心配をしなくて済むようになった家畜は事実上いつでも発情する。 ヒトは自己家畜化動物だとよく言われるが、食事の心配が無くなったのは農業が始まった時代以降で、人類進化では割と最近のことである。 狩猟生活に明け暮れる部族では今でも春にしか出産しないと言う。

    文明国の中でも古代ローマの農神祭という年祭にはおおっぴらな性行動が許されていた。 動物行動学者はこれらをかってのヒトの原始的な発情期の証拠と見ている。 日本でもご神体と称する巨大な一物を引き回したり、振り回して踊ったりする年に一度の奇祭が各地に残っている。 これらの奇習も、祭を発情期の「生きている化石」と見れば納得がいく。

    (以上は、「退化」の進化学、講談社ブルーブック、犬塚則久著、¥820から抜粋・要約したものです。)