甘えの構造 (03530

  1. スパルタ教育

    私は、最近の学校教育はもう少しスパルタ式にすべきだと思っている。

    先生が生徒を殴ると直ぐ父兄に訴えられる風潮はおかしい。

    校内暴力、いじめ、学級崩壊などがはびこる原因は、何時の間にか出来上がった「甘えの構造」にある。 生徒は先生に甘え、先生は生徒に迎向している。 口で注意しても止めない生徒には堂々と鉄拳を振るうべきであるのに、それを暴力としてタブー視する。 悪いのは生徒であり、矯正するには暴力しかない。 自分の子供が悪いのに、殴った先生を訴えるのは、子供を甘やかして育て、躾けられない親達の責任転嫁である。

    「戸塚ヨットスクール」は余りに暴力的であったので世間の非難を浴びたが、今の学校教育は子供を甘やかし過ぎており、少しは見習ったほうが良い。

  2. 職業訓練のあり方

    これは私が最近体験した話である。

    通信部門に配置転換する職員を対象に、通信技術の基礎を教える職場訓練の講師をしたら、訓練生から「誇りを傷つけられた、馬鹿にされた」とのクレームが上がったと注意された。 私は思った事をずけずけ言う方なので、何回も繰り返し同じ事を教えても解ってくれないとつい腹立たしくなり、「何回言ったら解るんだ」と語気を荒げる。

    10人いると大抵23人は居眠りしているので、わざとその連中に質問して、答えられないときつく叱った。 会社が高い金を払って再雇用の為の訓練をしてくれているのに、眠っているとは何事だ。

    訓練生の誇りを傷つける様な暴言を吐いた記憶はないが、自分達が出来ないのを恥じもせず、「先生が我々を馬鹿にしている」と感じるのは、学校で甘えて育てられた後遺症としか考えられない。

    彼らの能力に対して会社は給料を払っているのであり、能力が無くても給料が貰えると思っておれば、それは「甘えの構造」以外の何者でもない。職業人として誇りを持って仕事をしているのかと言いたい。

    叱る事は悪い事だ、叱る先生は悪い先生だと言う小学校時代の甘えの影響が未だに残っている。

    問題は此れだけではない。 訓練を提供する会社も、訓練生は大事な顧客であり、その人達の機嫌を損ねてはいけない、真面目に訓練を受けなくても叱ったりしてはいけない、と思い込んでいる。  世の母親連中と同じ考え方である。 受講生のレベルを上げるよりも、機嫌よく受講して貰うのが真のサービスだと誤解している。

    居眠りしている人はやさしく眠らせて置き、受講料さえ巻き上げれば良いと思っている自分達に気付いていない。

  3. 甘えの構造

    30年位前、「甘えの構造」と言う本を買ったが、未だ書棚に眠っている。今回の事件が有ったのを契機に、自分なりに「甘えの構造」について考えてみた。

    結論から言うと、人間社会は時間の経過とともに「自己組織化」が進み、次第に「甘えの構造」に汚染される。

    例えば、誇大宣伝、談合、闇カルテル、政官癒着、政治献金、脱税、環境汚染、老人介護、不良債権、銀行への公金投入などなど、突き詰めればすべて「甘えの構造」を内蔵している。 なぜ堕落して行くか。 それは人間の本性に深く根差している。

    人間はもともと怠惰な動物である。 出来るだけ少ない労力で、出来るだけ多く手に入れ様とする。 社会システムも、時間の経過とともにその方向に自己組織化されて行く。

    「初心に帰れ」と言う格言があるが、初期段階ではどんな社会システムも純粋な正義感に満ち溢れ、誤魔化しや甘えの入り込む余地は無い。 それが時間の経過とともに改悪され、怠惰な人間にとって都合の良い組織に変貌して行く。 これは世の常である。 こうして出来た「甘えの構造」を打破するには「初心に帰る」のが一番手っ取り早い方法である。

    学校教育も同じ轍を踏んで来ている。 子供を甘やかさないで厳格に育て、時には頬っぺたの一つもぶん殴る位の勇気が無いと、立派な人間は育たない。

    教育の原点とは、人類が蓄積して来た叡智を子孫に継承し、彼らがそれを更に発展させる事である。 その為には、時に鉄拳を振るっても良い。