法隆寺の壁画再現

奈良斑鳩に建つ法隆寺、西暦607年聖徳太子が創建した寺。 金堂は仏教美術の殿堂として知られています。内部にある13体の仏像の内10体は国宝、法隆寺の本尊として安置されているのが釈迦三尊像です。
中央の釈迦如来は聖徳太子の等身像だと言われます。 面長な顔立ちと神秘的な微笑み、飛鳥美術の傑作です。 670年法隆寺は火災で全焼し、白鳳時代に再興されます。
この時代、仏教美術は隆盛へと向かいます。仏像は隋や唐の影響を受け、より人間に近い体付きで表現される様になります。
表情も自然で穏やか、着衣も柔らかい質感を示しています。
白鳳美術の特徴が絵画に表れているのが法隆寺金堂の土壁に描かれていた12面の壁画です。大壁4面小壁8面に描かれているのは浄土の世界、中でも最高傑作と言われているのがこの阿弥陀浄土図です。 阿弥陀如来の左右には独自の曲線が印象的な美しい立姿の和紙地菩薩、はっきりした輪郭で立体的に描かれた三尊、この壁画はその後の仏教絵画に多大な影響を与えたと言われています。
柔和な表情の観音菩薩は絵を描く人の感情を込めずに均一な線で描かれており、7−8世紀の絵描としては出色な出来栄えであった。
昭和24年法隆寺は思わぬ惨事に見舞われます。1月27日午前7時頃、世界で最も古い木造建築物法隆寺の本堂からから出火、世界的に貴重な国宝12面の壁画の大半が崩れ落ちた。
火災から18年後、文化勲章受章者を含むトップクラスの画家を中心に14名の精鋭が集められ、金堂に再び壁画を飾ろうと再現模写が始まった。 しかしこの時の再現は画家たちの手書きによる模写であった。
これから話すのは、新しい写真製版技術を使った壁画の再現プロジェクトであります。

コロタイプ、それは消失前の壁画の写真を実物大のモノクロで印刷したものです。昭和10年に行われた撮影、垂直を保つ様に特注の枠に取り付けられた大型カメラでの撮影は75日に及びました。
縦3mを超える壁画を何面にも区分して撮影、この壁は42面に分けられました。フィルムに相当する乾板はガラスに感光剤を塗ったもの、12の金堂壁画を撮る為に600枚の乾板がイギリスから取り寄せられました。ガラス乾板は普通のフィルムと違い伸縮もなく耐久性が強いのが特徴です。このガラス乾板が消失前の壁画を再現する唯一の手がかりとなったのです。
昭和10年の乾板撮影を担当したのは、京都にある老舗印刷会社でした。 昭和50年、壁画を本にするプロジェクトが持ち上がり、ガラス乾板385枚が、昭和42年の模写事業以来初めて法隆寺から持ち込まれました。40年ぶりに封を解かれたガラス乾板に刺激を受け、技術者たちは大きな挑戦を思い立ちました。 実はモノクロ原版の撮影と合わせて色のデータを残そうと4枚一組で撮られた小さな原版が保存されているのです。昭和初期の撮影当時はカラーフィルムが無かった為、墨、赤、青、黄の4色のフィルターを使って色を分解し、モノクロのフィルムに焼き付けていました。
この4枚のガラス乾板を使って焼損前の壁画をカラーの実物大で再現しようというのが、今回のプロジェクトです。最初の難関は縮小版で撮った原板を拡大する事でした。モノクロ乾板のサイズに拡大し撮影を行います。ベテラン技術者の手仕事、4つの版を重ねる為に、1ミリの誤差も許されないデリケートな作業です。シャープな線が甘くならない様にピントを念入りに合わせます。
同じ作業を色毎に4回繰り返して行きます。その後、黒の原盤に赤、青、黄の原盤印刷を重ねて行くのです。
写真が撮られた当時、カラーでは不可能だったコロタイプという印刷技法に挑みます。印刷用のガラスの板にネガを写し取る為のゼラチンを満遍なく広げて行きます。この技法の特徴は、普通の印刷と違って、網の点いわゆるドットではなく筆で書いた様な滑らかな連続した濃淡が表現できることです。微妙なニュアンスがオリジナルに忠実に再現出来ます。
プロジェクトがスタートしてから2ヶ月あまり、試行錯誤の連続でした。 法隆寺金堂壁画、観音菩薩が完成に近付いて来ました。 
こちらが完成した作品です。カラーの実物大の印刷です。
髪の毛の線までくっきり浮かび上がって見えています。
出来上がったばかりの観音菩薩を、日本画家で日本美術史研究者の佐々木雅子さんに見て頂きました。「一番最初に私がびっくりしたのは髪の生え際の所とかにもう一本の細い線が見えるんですね。おそらくこれは下図の時の線が残ってるのかと思います。あくまでも推測でしかいえませんが下図の段階から仕上げまでを一人の人が通して描いたのではないように思います。」
「特に私が感激したのは、目の立体感というか、当然眼球がある所のほうが出っ張ってる状態ですけど、目がどちらの方向を向いているかと言うのは描く側として非常に難しい問題なんですね。 量感と伏目がちにしていると言う方向性と、下の線のところに少し、上が黒で下の方にちょっと赤い色が入っているという所が、如何にも目と言う水分を含んだものになっていますね。そう言ったものを一本の線で描いている点、レベルとしては非常に高いと思いますね。」
次に向かったのは岡山、ガラス工芸研究の第一人者谷内高志さんは何か新しい発見をして下さるでしょうか。
「想像より全然いいですね。この絵では耳から玉が首に掛ける形ではなくて下がっているように描かれていますね。耳が垂れると言うのが吉相なんですね。垂れた耳にピアスの様な形で装身具を施すと言う例は沢山見られます。ただそこから連珠にして首飾りの様に垂らしている例は殆んど無いように思います。」
「もう一つ明らかになったのは、連珠の中に濃い緑とエンジと交互に連珠にしていますが、その中にもっと濃い中心部分が入っています。 これは天然の石でここまで出来るかどうかわからないが、ガラスでしたら同じ様な表現することは出来ますので・・・」。 耳から繋がる飾りはガラスであると言う見解をもとに再現してみる事になりました。重さを考えるとガラスは球体ではなく平たいものだろうと推理、作業が始まりました。
白鳳時代ガラスは非常に貴重なものでした。しかも赤い色はガラスに中でも安定性が低く出し難い色、当時の日本の技術では到底造れなかったと考えられます。遥かシルクロードから齎されたと考えられるガラスです。
岡山から連珠の完成品が届きました。
「実物大ですが、案外軽いものですね。 色合いも非常に綺麗ですね」
「1400年前にこんな素晴らしい物を身に着けていたと言う事は驚きですね」
「確かに乾板が残されていたと言う事、原寸、更に色の分解撮影もしていた職人魂に頭が下がります」
「法隆寺にもう一度足を運びたいですね」


               (終わり)