人間の一生(2009127日)

 

  1. 余寿命の長い人間の一生

    動物の一生には、鮭や蝉の様に生殖が終わると直ぐ死んでしまうものと、クジラや象の様に何回も子供を生んで結構永く生きるもの等、色々なタイプがある。

    しかし、生殖を繰り返す野生動物も生殖能力が衰えると数年の内に死亡する。

    これに対し人間は生殖機能が衰えてもその後しぶとく生きる動物である。 医学が発達していなかった時代には人生50年と言われ、老後の生存期間は割合短かった。 昔も現代の様に長寿命の人はいたがその人口比率は僅かだった。 当時の長寿はいわゆるPPK(ピンピンコロリ)タイプで、現在の様に長期の介護で周りに迷惑を掛ける事は無かった。また、寒村では「姥捨て」の因習があり、70歳を過ぎても元気な人は山奥に捨てられた。

    生物の生存目的は子孫を残す事であるから、子供が独立した老人は早く死ぬ事が理に適っている。 

    高齢化した社会の矛盾点は、介護や年金問題などの社会的問題として現われてくる。

    医学はこれからますます進歩する。 癌も不治の病ではなくなる。 ES細胞の活用で再生医療技術が発達すれば、老化した臓器を自分の細胞を使って新しくする事も可能になる。 金さえ有れば再生医療によって100才以上まで元気に生きられる様になる。しかし、人工的に天寿を延長する事は望ましい事ではない。

  2. 動物としての人間の一生

    宇宙の何処かに生存しているであろう宇宙人なら人間の一生をどの様に観察するだろうか。

    映画「宇宙で最も複雑怪奇な交尾の儀式」によれば、地球人は「ファック星人」と見なされている。 孔雀や極楽鳥のように交尾の相手を獲得する為に優美な形やダンスをする鳥から、メスを獲得する為に決闘をする哺乳類のオスまで、動物たちは色々な恋のテクニックを持っている。 しかし、人間ほど複雑怪奇な交尾の儀式をする動物はいない。

    それを題材にした小説は、古今東西、数限りない。 どんな小説家が挑んでも語り尽くせない程その経過や心理状態は複雑である。 人間の一生で最も意義深いのは男女の結合であり、家族を作り育てる為に働く事である。 近代は分業の時代であり、高い評価を得て仕事自体に生甲斐を感じる人も多いが、その本質は古代の農耕民族や狩猟民族が子孫を養う為に働いていたのと何も変らない。要するに、人間の一生は子孫を残すための労働の一生に過ぎない。 老境に入って過去を振り返ってみると、その事が身に沁みて感じられる。

  3. 物質循環の一部としての人間の一生  

    銀河系の一端に原始太陽が形成され、それを円盤状のディスクが大きく取巻いた。

    宇宙に漂っていた塵状の物質が原始太陽の重力に引き寄せられ、土星のリングの様な薄い円盤状の塵の塊が出来た。 そして円盤が壊れて無数の破片となって太陽の周りを回り始めた。 それらは互いに離合集散を繰り返し、あるものはお互いの重力により集合し惑星の核に成長した。 それぞれの核は次第に周りの塵の吸引を速め、重力を増大させて加速度的に成長して行った。 こうして太陽を取巻く惑星群が誕生し、我々の住む地球もその一員となった。 やがて地球上に降り注ぐ小惑星(塵)の数が減り、溶岩で覆われていた灼熱の地球表面の温度が下がり、大気中の水蒸気が豪雨となって降り注いだ。 こうして地球は水の惑星となり、海の中に原始的生命が誕生した。

    それから46億年、生命体は何度も訪れた絶滅の危機を乗り越えて進化し多様化した。 生きる為に必要なエネルギーは太陽光線が供給し、身体を構成する物質は宇宙に漂っていた塵から選択的に摂取された。

    進化の最前線にいる人間の体もかっては宇宙空間に漂っていた塵で出来ており、生命を維持する為のエネルギーは太陽光線を化学エネルギーに変える植物やそれを食する動物から得ている。 生物の生とは、自然界から身体を構成する諸元素を選択的に借り、それら有機物に含まれる化学エネルギーを使って生命を維持し、子孫を残す事であり、死とは身体を構成していた物質全てを自然に返す事である。生から死へのサイクルは、自然界の複雑で巨大な物質循環サイクルの一部に組み込まれている。

    人間の一生は、自然界における無生物と生物間の物質循環のほんの一部に過ぎない。

  4. 個人としての人間の一生

    人間は自分自身を客観的に観察する事が苦手である。 宇宙の一部として人間の存在を考える事、全ての生物が人間を含め同じルーツを持つと言う事実を理解するのが苦手である。 人間の脳は自分本位に自己を認識する自分勝手な思考器官である。 

    その脳が命じるままに人間は天寿を全うする。 生れたばかりの赤ん坊は全て未熟児である。 しかし生きようとする欲望は強く、1−2年で脳の機能が発達し、二足歩行や両親などとの会話が出来る様になる。 幼稚園、小学校、中学校と進学し、高校や大学を経て就職し自立の道を歩み始める。 ホルモンの働きで異性を求める様になり、結婚して家族を持つ。 最近は結婚しない症候群や子供をもうけない夫婦もいる。 シングルマザーとして子供を育てる女性、離婚して子供の養育費を払う男性なども増えて来た。 女性の社会進出も盛んになり、男女平等な社会に変貌しつつある。 しかし、子供を生むのは女性の特権であり、男性は家族を養う為に働く事に変りはない。

    現代は分業社会であり、自分の好きな仕事に就き仕事に生甲斐を感じる人が多くいる。 だが、仕事はあくまでも生きる手段であり、目的ではない。

    最近、発展途上国の安い人件費の煽りを受け、就職条件は一層厳しくなり、所得格差が拡大して結婚できない人も増えたが、大半の人は結婚して家族を持ち、さらに子供が結婚して孫を持ち、その内、定年を迎えて年金生活に入る。 自営業の人は定年無しで働くが、やがて引退して老後を過ごす。 最初に述べたように、人間の老後は医学の進歩によってますます長くなり、介護されながら死を迎える人、PPKでこの世からおさらばする人など色々な終末のパターンがある。

    しかし、死は全ての人に確実にやって来て、人間は皆自然に帰る。 サラリーマンも主婦も、芸術家も政治家も、幸福だった人も不幸を嘆いた人も皆土に帰る。宗教が説く死後の世界など存在しない。 天国も地獄も人間の脳が創造した概念の世界に過ぎない。