改訂版・動物的人生論(20081122)

  1. 生きる目的

    全ての生命体の生きる目的は、生命誕生以来延々と継続してきた「次世代への生命の伝達」である。 その中には同種生命体の増殖も含まれる。 生命誕生以来30数億年、初期の生命体は次第に多様化し、その中から環境の変化に適応した種が生き残って来た。 その間環境の激変により絶滅した種は膨大な数に及ぶ。 絶滅して地球上から姿を消した種は生きる目的を達成出来なかった事になる。 絶滅してしまえば「生きる目的」そのものが意味を成さない。 すなわち、「生きる」とは種として絶滅しない事であり、その事自体が「生きる目的」である。 生命個体が何時かは死ぬ運命にある限り、絶滅を避けるには生殖によって次世代に自己の生命を託する以外に道はない。 

  2. 生命の伝達方法

    一口に生命の伝達と言うが、生命とは一体何を指すのか?

    生物学的に生命の本質を探求すると、生命は細胞に宿り、生命自体をコントロールしているのは細胞核などに格納された遺伝子群である事が分かった。 遺伝子には、生命体を構成する遺伝子と次世代を生み出す生殖用の遺伝子がある。 生命伝達を行うのは後者の遺伝子である。

    イギリスの生物学者ドーキンスは増殖する事自体が遺伝子の「生きる目的」であり、各生命体は遺伝子の単なる運び屋に過ぎないと結論付けている。 

    遺伝子は二重らせん状をした有機分子の長い鎖から構成されており、いかなる生命体の遺伝子も4種の基本分子の異なった組み合わせで構成されている。 遺伝子は自分と同じ基本分子の配列をコピーして生殖に用い、増殖していく。

    したがって、「生きる」とは遺伝子が増殖する事であり、これこそが究極の生きる目的であるとドーキンス氏は主張する。 そうなると各生命体は遺伝子の運び屋に成り下がる。 例えば人間の生きる目的も、生殖遺伝子を生産し、それを使って沢山の子供を育て、遺伝子が出来るだけ沢山増殖する事であり、毎日食事をし、新聞を読み、学習し、結婚して子供を育てるのも、究極の目的は遺伝子自体の増殖にある。

    生命体の真の支配者は遺伝子であり、遺伝子の目的はとにかく増殖する事である。 増殖しやすいように運び屋である生命体の形を環境に適応するのが、自然淘汰であり生命の進化である。 これらも増殖のための遺伝子の戦略である。

    我々は生命体の存在・継続が「生きる目的」であると考えがちであるが、その本質は遺伝子の増殖であり、その為に利用されているに過ぎない。

  3. 人生論は必要か

    人間は考える葦であるから、動物や植物の様に遺伝子の究極目的達成のために生きているとは思いたくない。 何の為に生まれたかは誰も教えてくれないし、またそれを知らなくてもある程度満足な生活が出来る。 生きる目的を高く掲げて懸命に生きていく人も沢山いるが、それは本人がそう信じているだけで、その人の自由意志である。 しかし殆どの人は社会風習に沿い、本能的欲望と知性の赴くままに一生を終わり、大抵子供を何人か残す。 人生の目的を知らなくても合目的的な生活が自然に出来る様になっている。 それでは人生論は不必要なのか。

    生物学的な生きる目的は知れば知るほど簡単である。 その事を知った上で、更に自分の考える人生の目的を掲げるのは自由である。 自分の信ずる道を模索し、それを達成して幸福感にしたるのはその人の勝手である。 すなわち、生物学的な人生論だけで満足できる人、人生論無しで満足できる人、人間としての人生論は別にあり自分の信じる人生論に沿って生涯を終える人、蓼食う虫も好き好きである。

    人間の一生は本当は生殖遺伝子に支配されているが、そ知らぬ顔で自分自身の生き方を決める自由を我々は持っている。 人生は自由に過ごせば良い、ただそれだけである。 すなわち、2次的な人生論は、人によって必要にもなり、不必要にもなる。