長寿国日本の当面する課題(2013年1月20日

1.姥捨山

 昔、「楢山節考」(深沢七郎原作)と言うタイトルの映画を見た記憶がある。 監督は木下恵介、主演の田中絹代が69歳になっても丈夫で生きているので、孝行息子がその村の慣習に従って、仕方なく自分の母親を背負って山奥に捨てると言うストーリーであった。
信州の一寒村での慣習を映画化したものであるが、この様な習慣は昔の日本にはあちこちに有ったと言う。 役に立たなくなった老人を、食い扶持を少しでも若い人に回す為、山に捨てて餓死させると言う残酷な話である。

日本人は戦後の経済発展と医療技術の進歩によって世界でトップクラスの長寿国になった。 最近来る「喪中」葉書でも、享年90歳代が多い。 私も今年(2013年)には80歳になるが、持病を抱えていてもまだまだ死にそうにはない。
日本や他の先進国では高齢化社会の進展とともに、年金や医療費が急速に増大し、国の財政を圧迫し、大きな社会問題になっている。 狩猟生活をしていた古代の人類は、獲物が取れなくなると狩猟動物の餌食になって自然淘汰された。 今、地球上には人類が爆発的に増え、共存していた動植物が「絶滅危惧種」に指定され、年々多くの種が絶滅している。 「奢れるもの、久しからず」と言う諺通り、現在繁栄を極めている人類も数万年、数十万年の内に絶滅する可能性はある。 絶滅の原因が何かは予想できないが、天体衝突の確率が一番高いだろう。

子孫を残し、人生の目的を果たした人間は、寝たきり老人にならず、PPKでコロリと死ぬのが理想的である。
「楢山節考」に描かれた昔の寒村の掟も、食糧難の頻発した当時としては死に対する人間の知恵であった。
日本でも最近、「尊厳死」が話題として取り上げられる様になった。 脳死した人間を機械の力を借りって如何にも生きて居る様に見せる事が未だに行われている。  人間の尊厳死について生前の「臓器提供」の意思の確認など、制度上の整備を確立する必要を痛感する。

2.健康保持技術の普及

現在の保険医療制度では保険に入っている人は安い料金で医者にかかれる。 薬も安く貰えるので、患者の言うままに沢山の薬を処方する医者が人気があり、繁盛する。 患者は有り余る薬で「薬漬け」になっている。
医者は病気の予防、健康な生活の仕方について、もっと分かり易く患者に教えるべきであり、いたずらに薬に頼る風習を改め、医療費の節減を図るべきである。 

3・老人病の研究

私は数年前から足裏の神経痛が治らず、多くの医者に掛ったが一向に治らず、悪くなるばかりである。
病気の種類は違っても、いわゆる「老人病」で苦しんでいる人は多い。 しかし、応対する医者の態度は、「もう老人だから治し様は無い」と内心思っていると思えるものが多く、色々な老人病を治す研究を組織的にしている様子は無い。
これは医者の怠慢であると思う。 私見では、最近ノーベル賞を貰った山中博士のiPS細胞の作成など、老化して治らない既存の細胞を新しく置き換えて完治させる「再生治療」に使えば、本当の老人病治療法が新しい医療分野として確立される時代が近い将来に来ると予想する。  癌治療、心筋梗塞、アルツハイマー病などへの応用も大切であるが、「老人病」に対してももう少し研究努力をして貰いたいものである。