私の死生観(03/4/29)

  1. 寿命とは何か

    mortals”−これは「人間、死すべきもの」を意味する。

    神は永遠に生き、人間は死すべきものであるから”mortal”と称する。

    確かに、人間を含め、すべての生物には寿命がある。 しかし、我々が言う寿命とは飽くまでも「個体の寿命」を意味する。

    我々は個体として生きているので、個体の死に固執するが、これは生物学的に見ると間違った見方である。

    親から受け継いだ生命は生殖細胞と体細胞に分かれて宿り、生殖細胞を通して子供に引き継がれる。 個体の死は体細胞に引き継がれた生命の死であり、生命自体の死ではない。

    この考え方を過去に遡って適用すると、生命の糸は切れる事なく、38億年前の生命の誕生まで遡る。 我々の究極のルーツは、38億年前地球上に出現した「増殖する蛋白質」であり、それが細菌、線虫、蛙、カモノハシ、ネズミ、原猿、類人猿へと進化しながら生命の火を燃やし続け、遂に人間にまで到達した。 したがって、現在人間が持つ生命の寿命は全て38億年である。

    注意しなければならないのは、人間だけが38億年の寿命を持っているのではなく、現在生きている植物、菌類、細菌、動物はすべて同じ寿命を持っているのである。 なぜなら、すべての生物のルーツはひとつの有機生命体に帰着するからである。 あらゆる生物はすべて兄弟なのである。

    (この考え方を更に敷衍すると、生物を構成する炭素や水素などの各種元素は無機物としても地球上に存在し、火星や水星など他の太陽系にも存在する。分子や原子レベルまで遡ると、物質としての寿命は137億年前の宇宙の「ビッグバン」まで遡る事になる。)

  2. なぜ死なねばならないか

    細菌などの単細胞生物は細胞分裂によって次世代の子孫に変身するので個体の寿命を定義できない。 しかし、分裂する前にその細胞が死ぬケースは多い。 多細胞生物の場合は、一般に生殖細胞と体細胞に分化するので、体細胞には死がある。 すなわち、個体としては寿命がある。

    では、なぜ個体は死ななければならないのか。 結論から言えば、死なないと絶滅するからである。

    生物が死なないで増殖を続けたら、地球上にある、生物に有用な資源が枯渇し、生命を維持できなくなって生命全体が絶滅するしかない。 

    生命体を構成する炭素、酸素、窒素、水素などは生物の死(食物連鎖を含む)を通して循環系を構成しており、常にリサイクルされて生命体システム全体の存続を可能にしている。  このリサイクルの輪を維持する事は生命体システム全体を存続させる事であり、生命の火を絶やさない為の必須条件である。 したがって、生物は死ななければならない。 死ぬ事は生きる事と表裏一体なのである。

  3. 私の死生観

    以上が私の死生観であり、生物学者の間では常識となっている死生観である。

    現存する宗教の説く死生観はすべて間違っている。 それらは科学知識の無い時代に人間の妄想から生まれた死生観であり、すべて正さなければならない。 信じる事は自由であるから、私は天国や地獄の存在を信じると言う人は勝手にするが良い。 

    しかし、存在しない天国で悠久の生命を与えられると無理して信じるより、「我々は38億年の長きに亘り生きて来ており、これからも宇宙が存続する限り生き続ける」と信じる方が、もっと気が休まるのでは有るまいか。

    いや、信じる必要など無い。 これは厳然たる事実である。