新移民時代の到来(2011年8月7日)

欧米の景気が後退し、これらの国々の国債の格付けがランクダウンし、その反動でかってない円高が進んでいる。 先見性のある日本企業は新興国への進出に活路を見出し、日本国内の市場を見限って国際企業に変身し、世界中に活動のネットワークを構築している。日本国内の空洞化を問題視すること自体が旧来に固執した杞憂である。 優秀な技術を持つ中小企業も、中国や台湾の追い上げと円高で海外への進出を迫られている。今こそ新興国に進出し、堂々と戦うべきで、残念ながら日本の対応は遅すぎた感がある。 

この様な経済状況にありながら、日本の就職希望者は国内の企業訪問に無駄な努力をしている。 経済の発展は人件費などの安い新興国に移るのは自然の理であり、日本で高給で雇用してくれる企業など無い。 なぜ日本の若者は終戦前後の南米移民の様に海外に飛躍しないのだろうか。 国際競争力において、国内企業は新興国には勝てない。 日本企業が海外進出すれば、就職希望者も企業とともに行動するしかない。 海外に行けば安い給料で働かされ生計が立たないと考えているのだろうか。 海外は日本に比べ生活費が安く、能力さえあれば日本で暮らすより良い生活が出来る可能性は十分ある。 国際結婚をして優秀な遺伝子も残せる。経済ナショナリズムの時代は終わったのである。

要するに企業も労働者も、現在のグローバル化した社会で生きるには、「移民」するしかないのである。 特別な優れた技術を持つものだけ日本で新技術の開発に従事し、その他大勢の者は新興国の人達と熾烈な競争をする運命に置かれている。 就活するものはその事を早く自覚し、鎖国時代の様な内向きの願望はきっぱりと捨て海外に目を向けるべきである。 世界中何処へいっても通用する能力を養い、世界中の人達とともに働く勇気と国際性を兼ね備えた人材の教育を、日本の教育機関は早急に整備する必要がある。 グローバル時代の厳しい競争の中で活動できる人材の養成こそ、これからの日本を発展させるための最大の課題である。 民族の大移動の時代はとっくに始まってるのにその事に気付かない島国根性の人達が、今の日本にはあまりに多い。

この事はいわゆる個人営業の人達にも当てはまる。 結婚もできず、何時までも親の脛をかじって気楽に生活している中年層の息子や娘の如何に多い事か。 高等生物でも大きくなると必ず親から独立して生活を始める。 日本に仕事がないのなら、海外に行って自分の能力を発揮する場を見つける気力のある人間はいないのか。 人間が増え過ぎて自然淘汰が無くなり、「人間のペット化」が進行していると言われる。ペットを飼うのは人間だけであるがその人間が人間をペットにしている。 自然淘汰による進化のメカニズムが機能しなくなり、人類は一部の人達の進化と多くの人達の退化する社会構造に成り下がろうとしている。
親の世代は、何時までも子供を甘えさせて、ペットの様に飼い主の慰み者に陥れてはならない。 成人式を終えた若者は必ず親元を離れ、自分の人生を自力で切り開くのが人間本来の生き方の基本である事、それが出来ない人間はペットの犬・猫にも劣ると、現代の風潮を大いに反省すべきである。
奢れるもの久しからず。 一国の栄華は必ず衰退する。 過去の歴史を繰り返さない為には何が必要か? それは、栄華に溺れず、常に「ハングリー精神・絶えざるイノベーション努力」を維持することである。 難しいのは、それを世界中の卓越した頭脳の持ち主たちを相手に成し遂げねばならない事である。 優秀な頭脳を海外流出させず、海外から「逆移民」させる環境の整備も急がれる。