新聞を読んで(20081123日)

以前、新聞について、興味を引く記事が少なくなった、折り込み広告は紙資源の浪費だ、インターネット広告に置き換わる時代が来るなど、悲観的な見方を書いた。

ところが、20081123日(勤労感謝の日、日曜日)の朝日の朝刊を読んで少し見方が変わった。 共感を覚えた記事を以下に要約する。

  1. もみじマークって必要?

    東北大学名誉教授の江刺洋司氏(植物生理学者)が述べている意見を要約すると次の様になる。

    高齢者の交通事故が増え、70歳以上を対象とした免許証交付時の高齢者講習、75歳以上の運転者に義務つけた「もみじマーク」は人間の老化を一律に見る悪い制度だ。 運動技能の低下は主に脳神経と心臓の機能に起因し、脳の劣化速度には個人差がある。 老化は神経細胞が集まっている脳の灰白質の減少と大きく関係しており、高血圧やアルコール、肥満など個人の生活習慣の違いで50代で70代平均の体力、能力しかない人もいる。 75歳で一律に「後期高齢者」と線引きするのは意味がない。

    紅葉マークも周囲の注意を喚起する一方、高齢者と言う弱者を明示する事で、詐欺、ひったくり、脅かしと言った被害に遭う危険性のほうがずっと多い。

    本当に必要なのは、血圧、心電図、そして脳の機能を調べるCTスキャンといった個人の運動能力を測る医学的なデータである。 それを基に免許証を交付、あるいは不交付とすれば良い。

    更新時には高齢者への無料住民検診をやめ、受講料より安価に血圧、心電図、CTスキャンの検診を実施する。 そうすれば本人の健康への自信に繋がると共に、その年の検診が必要なくなり、自治体の財政軽減にも役立つ。

    私の提案は、@50歳以上は受けたい人は受けるA60歳以上は受診が望ましいB70歳以上は必ず受ける、という基準で実施する事だ。 認知症の発症も脳萎縮映像から見つかり、本人の自覚を促し事故防止に役立つだろう。

    この提言は、老人のプライドを守り税金の無駄使いを防ぐので、私は一考に価すると思う。 ノンフィクション作家の吉永みち子さんも「線引きは自分でするもの、押し付けられたくはありません」と各受講者の立場に立った木目の細かい対応を求めている。

    警察庁の委員会でも一定のレベルが見込める運転者には表示を猶予すべきだという意見が出ているらしい。

  2. 山田風太郎著「秀吉はいつ知ったか」の書評

    作家の阿刀田高さんが書評を書いている。 秀吉が信長の死をいつ知ったか、というテーマは興味深い。 定説となっている事情とは別に秀吉は独自に謀殺を予見する手段が、あるいは仕掛けている事があったのではないか、と言う洞察には説得力がある。

    光秀の謀反がなく歴史が信長中心に進んだら、秀吉は信長を殺したのではないか?

    これは阿刀田氏の人間観察だが、この本の著者も、その疑念を持っていたのではあるまいか。

  3. ピーターの法則

    L.J.ピーター、R.ハル共著「ピーターの法則」が興味を引いた。

    あらゆる組織を支配する代表的な法則は「パーキンソンの法則」と「ピーターの法則」である。

    ピーター博士は「あらゆる組織は無能化する」と喝破した。 優秀な営業マンはやがて評価され、抜擢されて課長になる。課長になっても優秀な人材は部長になる。それでも優秀なら局次長、局長、取締役、常務・・と昇進の階段を上がる。

    逆にその職位に上がった途端無能化する人は、そこで留まる事になるだろう。

    ということは、ある時点で管理職席のほとんどは、そこで無能レベルに達した人で埋め尽くされることになる。 組織をいつも創造的に保つには、昇進という誘惑を断って、適度な無能を演じるべきだと説いている。 創造的無能のススメである。

    (なかなか鋭い所を突いており、サラリーマンのOBは耳が痛い。しかし最近は、「みなし管理職」と言う搾取の手法も流行っており、昇進にはもう一つの危険が潜んでいる。)

  4. 日本、資源狙う 

    日本が中南米の豊富な資源に暑い視線を送っている。 

    1121日にはペルーを訪問中の麻生首相が、同国のガルシア大統領と投資協定を締結。 これを足がかりに中南米各国と協定を結びたい考え。 資源獲得への取り込みで先行する中国を追う。

    ペルーは銅と亜鉛、金、銀などで世界有数の資源国であり、日本はペルーからの輸入額のうち、銅と亜鉛で約7割を占める。ペルーは02年以降資源高を背景にGDPで平均して5%以上の成長を続けている。

    この記事で思い起こすのは、アンデス山脈にマイクロウエーブの無線回線を建設援助する為、私はNTT時代、数度ペルーに派遣されアンデスの山中を走破しルート選定を行った。 その時、道案内の現地人が、自分の見付けた石炭や銅の鉱山を安く買わないかと盛んに売り込んで来た。 輸送が困難な山奥なので、値段は手持ちの金でも買える位だったと記憶している。 ルート選定の道すがら、あちこちで馬の背に乗せて鉱石を運ぶ鉱山主に出くわした。 もちろん、日本の鉱山会社の「山師」達も大勢山中をさ迷っていた。 今思い出すと一山当てて鉱山経営者になったほうが良かったのではないかと残念で堪らない。

    1123日の新聞には「次官を殺した男出頭」の一面見出しが大きく出ていたが、そんな事より上記の様な記事が私の興味を引いた。 たまには新聞も読まないといけない。