脳死と臓器移植(2009年5月14日)

  1. 臓器移植法の改正

    2009514日の読売新聞に、「臓器移植法」の改正案が、今国家印中にも採決される見通しになったと報じた。以下は、その記事を借用して、記述している。

    「臓器移植法」改正のきっかけは昨年5月、臓器移植を専門とする各国の医者で作る国際移植学会が、自国外で臓器移植を受けることを自粛するよう求めた「イスタンプール宣言」を採決したからである。背景には、中国の死刑囚の臓器が移植に使われていたほか、アジアの貧しい人から腎臓や肝臓を金で買いあさる日本や中東などに対する根強い批判があった。

    日本で臓器移植法が

    1997年に施行されて11年以上たつのに、臓器提供されたのはわずか81例だけである。年間10例前後で、米国などの年間7000例などと比べ明らかに低迷している。その結果、国内に12000人以上いる移植待機患者の大半は希望がかなえられないまま、亡くなっている。 この事態を打開するため、国内では健康な家族の体にメスを入れ、腎臓や肝臓に一部を取り出して移植する「生体移植」が盛んに行われるようになった。 実施件数は年間約1500件で移植全体における依存度は世界でも突出している。

  2. 世界一厳しい要件

    日本の臓器移植が海外に比べ極端に少ないのは、臓器移植の条件が厳しいほか、提供意思を確認できる年齢も限定しているからだ。米国や英国などが採用しているのは「本人の提供意思が不明の場合でも、家族の同意で提供できる」方式。 フランスなどは「本人が提供を拒否する意思を示していなければ同意したとみなして提供できる」方式だ。

    これにたいし、日本の現行法は15歳以上の人であっても生前に提供意思を書面で残すことなどを求めている。 15歳未満の人については意思を確認できないとして提供を禁じているため、特に乳幼児の患者は海外に頼らざるを得ない。

  3. 脳死に対する考え方の遅れ

    今国会には4つの改正案が提出されている。 この内患者団体や日本移植学会などが支持している改定案は、自民党の医師でもある中山太郎・元外相らが提出しているものであり、他の3案はより条件を厳しくしたものや、年齢制限を緩和したものなどである。

    概して言える事は、日本人の脳死に対する心情的な感情と、移植に対する生理的な反発である。 死んだ人の臓器を切り出して他人に提供することが、殺人にも匹敵する罪悪感を多くの日本人に抱かせている。 理性的に考えれば人の命を助ける崇高な行為である事は理解できるのに、心情的にはどうしても許せない。 医学の知識が欠乏しているのも移植の反対者が多い理由だ。 脳死した人は絶対生き返らないのに、人工呼吸器で心臓や肺などの機能を維持できる。 見た目には生きている様に見える。 脳の神経細胞が壊れ、脳全体が機能停止しているのが「脳死」であるが、あたかも生きているように見える。

    完全な臓器移植の体制が整うには、まだまだ時間が掛かる。 脳死と言う「回復不可能な死」を一般人に科学的に納得させるには時間が掛かる。 しかし、そうこうしている内にも移植を受けれないで死亡する患者は増え続ける。

    日本人の脳死に対する理解度の遅れを一刻も早く取り戻さねばならない。