人類の起源(2009年7月31日)
受精の仕組み
受精する卵子は完全な構造をした一個の細胞であるが、授精する精子は、オタマジャクシの様に剥き出しの細胞核に遊泳用の尻尾がついた剥き出しの特殊な構造をしている。
細胞では、ゲル状の細胞質が細胞核を取り巻き、その外側を細胞膜が覆っているが、細胞質の中には数多くの細胞小器官が存在し、細胞の代謝機能をサポートしている。 なかでも、代表的な細胞小器官である「ミトコンドリア」は、細胞に酸素を取り込みそれを燃焼させてエネルギーを発生すると云う重要な機能を分担している。 最近の研究結果、「ミトコンドリア」は太古の時代、独立した生命体であり、それ自身の遺伝子を持って単独行動をしていたが、他の原始的単細胞との共生によってエネルギー効率の良い新細胞の小器官となった事が分かっている。 それは今でも「ミトコンドリア」独自の遺伝子を相当数持っており、独立した細胞の様な振舞いをする事からも推察できる。
前置きが長くなったが、私の云いたいのは、精子は裸の細胞核であり、従って男性側の「ミトコンドリア」を受精卵に持ち込まないと云う事である。 言い換えれば、生まれて来る子供の細胞には卵子(母親)から引き継いだ「ミトコンドリア」しか存在しない。細胞小器官である「ミトコンドリア」には遺伝子があるから、ミトコンドリア分裂時のコピーミスにより一万年に平均一回、塩基配列の一個が突然変異を起こし、それが時間の経過とともに累積して行く。 人類の起源を15万年前とすると、平均15個の塩基配列がコピーミスを起こしていると言える。 これが人類の起源を解明する鍵となる。 この点については後で詳しく述べる。
人類の大移動
我々人類(学名・ホモ・サピエンス)は猿から進化して、類人猿となり、さらに北京原人とかジャワ原人、ネアンデルタール人などに分化したが、これら原人は絶滅し、ホモ・サピエンスだけが生き残った。 その子孫がいま世界中に六十億人以上生存し、文明の発達で近い将来には百億人にまで達しようとしている。
我々ホモ・サピエンスが地球上に現れたのは今から十五万年前と推定される。 それは先祖の化石の時代測定から計測される。 それでは十五万年前にはホモ・サピエンスはどの位いたか? 新しい種が出現する時、最初の段階では、限られた地域にごく少数生存したと考えられる。 ほんの数家族しかいなかった、しかも彼らは血縁関係の濃い人達であっただろう。 その人達は厳しい自然環境の下で必死に生きていた。 狩猟で得た鳥や小動物、植物の根菜、果物などが彼らの食料だっただろう。 その内の一家族は食料を求めて故郷を後にした。 それから十五万年掛けて、彼らは子孫を増やしながら世界各地に移動して行った。 北の方面に移動した連中は太陽光を取り入れるために次第に皮膚の色を白くして行った。 眼の色も色素を失い、青くなった。 これは自然環境に適応する様に進化する生物の特徴である。
十五万年の内には地球環境も大きく変化し、氷河期が到来した。 北方アジアに進出した部族は、氷で陸続きになっていたアリューシャン海峡を徒歩で渡り、アメリカ大陸から南米の突端までゆっくりと移動して行った。 舟を作って東南アジアの島々に移動して行った部族もいた。
人類の起源は?
人類の起源がアフリカ南部にある事が、上述した「ミトコンドリア」の遺伝子解析から明らかになった。 遺伝子は4種類の塩基がほぼランダムに一直線に配列した有機化合物である。 その特徴は、長い帯状の塩基配列が個々に特定の相補的塩基配列と水素結合し、対をなしている為、全体の構造は有名な2重螺旋構造を取っている。
この配列はそれを鋳型として細胞分裂時に複製され、倍々ゲームで分裂した細胞に収納されていくが、複製時のコピーミス(確率10E−9オーダーで発生)などにより、世代を重ねるに従って変化して行く。 これが生物の進化の原動力となり、変化した配列の内で個体として環境に適応したものが自然淘汰されて生き残って行く。
そこで、世界中の民族から「ミトコンドリア」をサンプリング形式で採取し、数千個のサンプルを収集したとする。 綿棒で口の中の粘膜を擦ると、少数の細胞が剥離し、それらの細胞から「ミトコンドリア」のサンプルを抽出し、さらに遺伝子の塩基配列を調べる。
数千の塩基対を順番に比較すると、類似した突然変異をしているグループに分類できる。調査結果、現存する人類は15人の母親の子孫である事が分かった。 すなわち、突然変異の型を分類すると15の大分類が出来た事になる。 ここで問題となるのは、もともと1種類の配列だったものが15種類に分化したはずだが、その中の1種類の本当のルーツはどれかと言う事である。
それは多数決の理論で解明できる。ある塩基配列の特定部位が変化したものと元の配列を保存しているものを比較すると、必ず後者が多数を占める。これと同じ事を、15グループについて行い、多数決の点数を一番沢山取ったものが、本当のルーツとなる。 こうして決定した人類の究極の起源(グループ)はアフリカ南部にあった。 今でもこの地方にはルーツの「ミトコンドリア」遺伝子配列に近い配列を持った人達が原始的な生活を送っている。
人類の起源がアフリカにあった事は分かった。 しかし、世界中に拡散した人類は、その地の環境に合わせて、異なる方向に進化して行き、母親からのみ遺伝される「ミトコンドリア」に人類進化の道筋を記録していった。 例えば現在のアフリカをとってみても多数の方言がある。 それは、その数に近い、相互に遺伝子の異なる部族(又は少数民族)がアフリカ内で分岐し生在している事を意味する。 世界中には異なる言語を話す少数民族が多数存在する。 その「ミトコンドリア」を調べると、彼らが遺伝的に分岐し、辿って来た道を明らかに出来る。
日本人の起源
ミトコンドリアを分析してグループ分けを繰り返して行くと、アフリカの一人の母親「愛称ルーシーと呼ばれる」を起点とした、複雑な分岐をしたツリー構造の小グループまで再分化される。 その図の中に、日本人から採った「ミトコンドリア」の型名をマーキングして行くと、日本人のルーツが浮かび上がって来る。 その結果、現在の日本人には9人の母親が存在する事が分かって来た。 日本人の約30%はD型の「ミトコンドリア」を持つ。 これはシベリア・バイカル湖の南西の地域に多く分布するタイプで、寒さに強く長寿の遺伝子を持つ。 世間を騒がせた「金さん」「銀さん」のミトコンドリアも保存されており、D型であった。 7人の母親のいた地域は中国南部、モンゴル、東南アジア、ヒマラヤ山麓などに分散しており、これらの地方から琉球や北海道、朝鮮などを通して、日本列島に流入し混血を繰り返して次第に均等化の方向に進んでいる。 しかし、今でも琉球民族、アイヌ民族など、それぞれのルーツの特徴、風習、言語などを根気良く保存している少数民族が現存する。 中国などにも少数民族の自治区は沢山あり、中国民族もまた、多数の元祖母親の「ミトコンドリア」を引き継いでいる多民族国家である事が分かる。
「ミトコンドリア」分析が便利な点は、母親からしか子孫に遺伝しない為、分析が割合簡単に行えると言う点にある。 もし、細胞核内の遺伝子や、赤血球の遺伝子を民族分化のトレーサーに使うと、父親と母親から継承した遺伝子の分化速度が2の何十乗も大きくなり、解析不可能なオーダーになる。 「ミトコンドリア」遺伝子の片親継承メカニズムのお陰で、数千オーダーの民族分類が可能になったと考えられる。 精子が裸の細胞核弾頭を持っている事が人類に起源究明に多大の貢献をしたと言っても過言ではない。
この記事は、数年前NHKが放送した「人類の起源ーイブはアフリカにいた」を参考にして記述しました。
日本人のルーツである、9人の母達の住んでいた地域と彼らの移動の経路、日本人に占める割合などを、次のスライドショーで図示しますので参考にしてください。